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【平成時代】(中)若者と自立…「ニート」支援 国の事業に
バブル崩壊で雇用情勢悪化
平成時代は、20~30歳代らの「若年無業者(ニート)」など、働けない若者の存在も注目を集めた。問題にいち早く着目し、長年、若者の自立を後押ししてきた認定NPO法人・育て上げネット(東京)の工藤啓理事長(41)は、この問題を巡る時代の変遷をどうとらえてきたのか。
《2001年に無業の若者たちに、自立支援プログラムを提供する団体を設立した》
プログラムは、地域で清掃をしたり、IT技術を学んだり、職場体験をしたりする内容だ。長年働いていなかった若者ら多くが自立している。
問題に取り組んだきっかけは、00年頃。留学先の米国の大学で、欧米で働けない若者が問題となっていることを知った。「日本でも同様の問題が起きる」と直感した。
01年に帰国すると、アルバイトやパートとして働く「フリーター」や「ニート」の存在が注目されていた。バブル崩壊後の景気低迷を受けて、企業が新卒採用などを控え、若者失業率が上昇していた。
非営利活動を仕事とすることに、抵抗はなかった。両親が不登校の青少年らを受け入れる団体を運営し、子どもの頃から、様々な事情を抱える人たちと共同生活を送ってきたことも影響したと思う。
でも発足当初は、支援者というより、同世代の仲間。共に時間を過ごして相談に乗ったり、繁忙期の農家を手伝ったり、試行錯誤していた。
《当時、「自立できないのは、自己責任。なぜ支援するのか」と批判された》
働けない若者に対し、「甘えている」「怠けている」と指摘する声は今もある。でも、本人だけの問題にできるほど事情は単純ではない。
雇用情勢の悪化で安定した仕事も減った。相談にくる若者たちは、就職活動で断られ続けたり、職場でいじめにあったり、「働きたくても働けない人」も多い。心の病を抱えている人もいる。社会環境の変化にも目を向けてほしい。
《政府は03年、「若者自立・挑戦プラン」をまとめた》
国が初めて若者の自立に取り組む姿勢を打ち出した点で、転換期だった。それまで本人の問題とされてきた若者の自立が、ようやく社会や国の問題として認知され、支援メニューも整えられていった。
若者の自立支援が国の事業に位置付けられたことで、支援団体の活動基盤も強化された。スタッフの生活保障も考慮できるようになった。それまでは、一部の有志が自分たちの生活を犠牲にして支えてきたのが実情だった。
これまで若者の受け入れをお願いしてきた企業に加え、他からも採用の相談が来るようになった。若者が貴重な人材であることが理解されてきたと実感している。若年失業率も、無業者数も、改善傾向にある。
国が取り組みを進める中で、企業に雇われて働くことが目標となった。支援団体は、仕事に就いた数で事業の成果が測られる。
でも、特技をいかして起業したり、副業をいくつも持ったりといった働き方の多様化も進む。インターネットを使えば、自宅でも仕事はできる。時代の変化とともに、自立のかたちは様々であっていい。今後は、多様なゴールがあることを前提に、若者の自立支援を進めるべきだと思う。
◇くどう・けい 認定NPO法人・育て上げネット理事長。内閣府や厚生労働省で若者支援に関する検討会の委員を歴任。金沢工業大学客員教授、東洋大学非常勤講師も務める。41歳。
就労巡り言葉変化
若者の就労や自立を巡り、多くの言葉が生まれた。
いずれも定義はあいまいだが、1980年代後半に登場したのが、アルバイトなどで暮らす「フリーター」。当初は自由な働き方とされたが、バブル崩壊後、不安定な就労形態も表すようになった。
90年代以降は、働けない若者も注目された。不登校などをきっかけに、学校や職場にも行かない若者は「ひきこもり」、親に頼って同居する独身者は「パラサイト・シングル」と呼ばれた。2000年代には、進学も就職もせず、職業訓練も受けていない「ニート」が注目された。
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