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望ましい最期(5)「やりたい」を支える…歌、職場復帰環境を提供

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望ましい最期(5)「やりたい」を支える…歌、職場復帰環境を提供

サクラの下で職員と写真に納まる東條清子さん(2017年4月撮影、菊南病院提供)

 明るい日差しの注ぐ広々としたリハビリ室。菊南病院(熊本市北区)で昨年5月、末期の肺がんを患う入院患者の東條清子さんは、ピアノとギターの伴奏に合わせ、シャンソンの名曲などを披露した。

 居合わせた数人が聞くだけのささやかなリサイタル。「夜のプラットホーム」「テネシーワルツ」など8曲を1時間かけて歌い上げ、カーテンコールに応える歌手のように車いすの上で手を広げた後、病室に戻った。

 それから2か月半後。東條さんは、ここで家族や看護師たちに見守られ、亡くなった。92歳だった。

 リサイタルは、同病院の非常勤職員で、臨床宗教師の 金聖孝キムソンヒョ さん(59)が思いついた。一昨年4月から週に1回、病院を訪ね、希望した患者たちと面談。東條さんとは、入院直後の昨年1月に初めて会った。「のど自慢大会で、『歌手になりませんか』と誘われたことがあるの」。大好きな歌のことを話す時、東條さんの表情は輝いた。

 東條さんは、がんの告知を受けていなかったが、「ステージ4」で、いつも胸を手で押さえて苦しそうにしていると、病院スタッフから伝えられていた。でも、金さんが行く時はベッドの上に背筋を伸ばして座り、笑顔で出迎えた。面談で、病気への不安を明かすことは一度もなかった。

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菊南病院で病室を回り入院患者に話しかける臨床宗教師の金聖孝さん(7月、熊本市北区で)=貞末ヒトミ撮影

 臨床宗教師としてできることを考えた。たどり着いた答えが、「患者さんが生き生きとする時間を作る」ことだった。東條さんの病状は進行し、声はか細くなっていたが、リサイタルの提案を喜んでくれた。「大いに うた って心より若くなろう」。日記には、そうつづられていた。

 リサイタルの様子を聞いた次男の清隆さん(66)は「最後まで生きることを諦めなかった母の気持ちを支えてもらった」と思う。菊南病院の室原良治院長は「私たち医療従事者が提供できていない部分を、臨床宗教師が補ってくれるのではないか」と期待する。

 佐賀市の小学校教員、古賀 郷子きょうこ さんは、昨年3月に54歳で亡くなる直前まで教壇に立ち、子どもたちの成長を見守った。

 直腸がんが見つかったのは8年前。摘出手術を受けたが、再発し、骨にも転移した。痛み止めを飲みながら授業を続けたが、徐々に痛みは強くなっていった。

 一昨年7月、佐賀県医療センター好生館(佐賀市)の緩和ケア病棟で、脊髄に鎮痛薬を注入する手術を受けた。病棟トップの小杉寿文医師が提案した。飲み薬に比べ、副作用で眠くなりにくいという特徴があり、「痛みがとれれば職場復帰したい」との古賀さんの願いをかなえるためだ。

 センターの医師や理学療法士、訪問看護師らが、古賀さんが当時勤めていた佐賀県唐津市の学校に出向き、同僚の教員らに古賀さんの病状を説明。車いすで校内を移動できるかどうかを確認し、復帰を支援した。

 約1か月ぶりに学校に戻った古賀さんは、駆け寄ってきた受け持ちの1年生たちに囲まれた。教室では、車いすから立ち上がり、持ち前のはつらつとした声で授業をした。

 「最後の瞬間まで、『どう生きたいか』という患者の思いを引き出し、支える」。終末期医療に長年携わってきた小杉さんの信念だ。

 古賀さんの自宅には、いくつもの写真が飾られている。その表情は、どれも笑顔だ。夫の和幸さん(57)は「妻は『子どもたちがエネルギーをくれる』と、うれしそうに話していた」と語る。

 「最後まで明るく前向きに生きた妻の姿に、私と3人の子どもは今も勇気づけられている」

(おわり。手嶋由梨、今村知寛が担当しました)

臨床宗教師  医療機関や福祉施設などで患者、入所者と対話し、精神的ケアをする牧師や僧侶。相手の宗教や宗派を問わずに活動し、伝道や布教は行わない。東日本大震災をきっかけに注目され、今年3月には「日本臨床宗教師会」による認定資格となり、これまでに146人が認定されている。

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