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望ましい最期(2)母看取る場、巡り合う…施設探し、漂流の末に

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 久しぶりに見る母の笑顔に、一人娘の中村悦美さん(40)は「この場所に巡り合えて良かった」と思った。

 「今すぐ帰ってきて。お父さんがもう……」

 2016年7月、福岡市早良区で暮らす中村さんに、長崎県の離島・五島にあるホームホスピスから連絡があった。

 博多港からフェリーで8時間かけて駆け付けた。父・立木真さん(当時71歳)の意識はすでになかった。近くの新上五島町の実家に運び、父の2歳上の母・勝代さんらと静かに 看取みと った。

 しばらく島で過ごした後、夫と4人の子どもが待つ福岡へと戻った。一人になった勝代さんは「夜が怖い」「うつになる」と電話で訴えるようになった。住み慣れた島で、母が安心して暮らせる場所を探し、フェリーで何度も通った。

 父がいたホームホスピスは施設の老朽化で閉鎖が決まっていて、ほかの施設に空きはなかった。特別養護老人ホームへも、要介護度が入居条件の3より下の2だったため、入れない。

 やっと探し当てたのが、福岡市内の有料老人ホーム。島を出たことのない勝代さんに聞くと、「孫に会える」と意外に喜んでくれた。昨年3月、福岡に呼び寄せた。

 ホームの個室は真新しく、広々としていた。しかし、職員が顔を出すことはほとんどない。一人の時間を長く過ごすようになった勝代さんは無表情になり、食事がのどを通らなくなった。

 職員は患っていた肝がんの病状も、きちんと把握していなかった。「ここに居させるのは不安だ」。3か月で、再び勝代さんの居場所探しを強いられた。

 かかりつけ医の紹介でたどり着いたのが、小規模多機能型居宅介護を提供する「三丁目の花や」(福岡市西区)。一軒家のようなぬくもりのある雰囲気の施設に、勝代さんの表情も和らいだ。

 父の一周忌を迎える頃、勝代さんは、ほぼ寝たきりになった。中村さんや、頻繁に声をかけに来る職員にほほ笑み、「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。意識の混濁が進んでいた。母が、母でなくなっていくように感じた。

 「今、やりたいことは何ですか」。昨年10月、施設長に尋ねられた勝代さんは、職員の一人を指さして「抱っこ」と言った。白血病のため3歳で亡くした長男・万寿雄さんの成長した姿を重ねていたようだった。皆で笑顔で写真に納まった。

 それからまもなく、施設の個室で中村さんや5歳の孫に手を握られ、息を引き取った。75歳だった。

 悲しみは、まだ癒えない。でも、「人と関わることが好きだった母に寄りそってもらえた。八方ふさがりだったことを考えると、ここで母を見送れたのは奇跡のよう」と、中村さんは思う。

 「家での最期を希望する人は多いが、難しい場合もある。もう一つの看取りの場所として、施設が果たす役割は大きい」。三丁目の花やを運営する平野頼子さん(68)は言う。

 名古屋大の平川 仁尚よしひさ 准教授(老年医学)は「施設職員が、利用者のライフストーリーに関心を持ち、思いをくんだケアをすることが、結果として良い看取りにつながる」と指摘している。

小規模多機能型居宅介護  通い、宿泊、訪問を一体的に提供する介護保険のサービス。1事業所あたりの登録定員は29人以下。特別養護老人ホームや有料老人ホームなどと異なり、入所しても自宅と行き来できるのが特徴。全国に約5000か所ある。

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