いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
重い水頭症に加え、キアリ奇形で呼吸が困難な赤ちゃん 「この手で助けてください」と、父は涙を流し…
「積極的に手術を勧めることはできない」と上司
「脊髄髄膜瘤の閉鎖手術を急がないと、感染が起こるのではないでしょうか? 水頭症を解除するシャント手術も早い方がいいと思います」
私はすぐにでも手術をやりたいと、意見を述べました。
「君の気持ちは分かる。しかし、あの赤ちゃんは、手術をしても一生寝たきりだろう。人工呼吸器が必要になるかもしれない。本当にそれでいいのだろうか? 私には疑問だ。最終的には親の決断だが、こういう話は医者の説明の仕方で、親の決定も変わってしまうんだ。私には積極的に手術を勧めることはできないな」
つまり、「選択的治療停止」を、上司は視野に入れているのです。「手術を勧めることはできない」という言葉に、私は息が詰まりそうになりました。「とにかく私に一任してください」と上司が言いました。私たちは父親が待つ面談室に向かいました。
「一生寝たきりでも面倒を見ます」
赤ちゃんの父親は、白髪の多いかなり年配の方でした。上司は、自分の主観を挟まず、客観的な事実だけを淡々と述べていきました。ただ、将来の見通しについては、手術が成功しても相当厳しいことを言い添えました。
父親は黙ってうつむいてしまいました。しばらく考え込んだあとで顔を上げました。
「先生、どんなことがあっても、あの子を助けてください。私と妻は再婚同士です。お互いに子どもはいますが、二人の間にはどうしても子どもができなかったんです。貯金を全部おろして不妊治療を受けました。体外受精で授かった子が、あの子なんです。一生寝たきりでも面倒を見ます。どうか助けてください」
上司の先生はしっかりとうなずきました。父親は、先生の手を握って「この手で助けてください」と涙を流しました。
大手術後2か月、赤ちゃんは懸命に生きた
その日の夕方から手術が始まりました。深夜までかかる大手術になりましたが、髄膜瘤の閉鎖をきちんと行うことができました。ただ、予測通りとはいえ、手術後に赤ちゃんの自発呼吸が回復することはありませんでした。人工呼吸器が付いた状態で、赤ちゃんはNICUに戻ったのです。
それから2か月、赤ちゃんは懸命に生きました。しかし、肺炎から敗血症になり、その命は果てました。お別れの時、夫婦は上司の先生に深く頭を下げました。
「この子は精いっぱい生ききったので、後悔はありません。これ以上、生きてくれと言うのは親のわがままです。難しい手術をしてくださってありがとうございました」と父親が言ってくれました。
赤ちゃんの病気がどれほど重篤でも、親の愛情はどこまでも深いものだと、私は心の底から感じさせられました。(松永正訓 小児外科医)
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