ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[女優 堀内敬子さん](上)治療を始めてすぐの妊娠に医師は「奇跡だ」 43歳での出産はとにかく怖かったけど…
ヒロイン役から一転 退団後は舞台が1年に1本の苦しい時期も
――そんな厳しい競争の中で、「美女と野獣」などのヒロインを任されました。退団後は、三谷幸喜さん演出の舞台や映画で活躍されます。お仕事は順調に見えますが……。
大変な時期もありました。劇団を離れた後です。劇団にいれば、運と実力で役がもらえる。でも、外に出たら、全く違いました。お仕事がなくて、舞台が年に1本という時もありました。「名前が知られなければ使ってもらえないんだ」と身に染みました。
ただ、その1年に1本の舞台を、三谷さんが見てくれていて、自分の舞台で「おばさん役」をやってほしいと。監督をする映画「THE 有頂天ホテル」にも出ることになり、そこから映画やドラマの仕事が増えていきました。
苦しいときはあったけど、この仕事をやめたいと思ったことはなかったですね。私には、他にできることはありませんから。
友2人を出産で失い 大きかった不安と恐怖
――私生活では妊娠、出産も経験されました。ご出産は何歳の時でしたか。
43歳でした。それまで、特に舞台の仕事は先々まで決まっていくので、タイミングが難しかったんです。それが、映像の仕事の割合も増えてきたこともあって、妊娠・出産を考えるようになりました。不妊治療もしたのですが、始めるとすぐに妊娠をして、お医者さんからは「奇跡だ」と言われました。
でも、高齢出産ですから、不安は大きかったですね。というのも、私の友人2人が、出産時と出産後に亡くなっているんです。バスケットボールの仲間でした。だから、とにかく怖くて、何かあっても安心な新生児集中治療室(NICU)がある大きな病院を選びました。
無事に子どもが生まれ、今はもう4歳になりました。
―――お子さんができたことで、ご自身に何か変わったことは?
どうでしょう? 役では、子どもができる前からお母さん役をやっていましたから、違和感はあまりない。ただ、子役との接し方など、細かい部分で、違ってきているのかな。
ほりうち・けいこ
1971年、東京・府中市出身。高校卒業後の1990年、劇団四季の研究生に。95年には、オーディションで「美女と野獣」の初代ベル役に選ばれた。退団後は、「レ・ミゼラブル」「屋根の上のバイオリン弾き」などの舞台のほか、「THE 有頂天ホテル」などの映画や、「CHANGE」「サラリーマンNEO」「ショムニ2013」などのテレビ番組でも活躍。第33回菊田一夫演劇賞、第15回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。18年7月スタートのドラマ「ハゲタカ」(テレビ朝日系)に出演している。
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