ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[女優 堀内敬子さん](上)治療を始めてすぐの妊娠に医師は「奇跡だ」 43歳での出産はとにかく怖かったけど…
劇団四季に在籍した1990年代、「キャッツ」「美女と野獣」など多くの作品でヒロインを演じた堀内さん。現在は、舞台だけでなく、映画やテレビドラマでも存在感を放っています。40代後半になっても変わらない 可憐 な 佇 まいには、いったいどんな秘密があるのでしょうか。(聞き手・梅崎正直、撮影・小倉和徳)
全国大会にも出たバスケをあきらめ、演劇の道へ
――東京生まれの東京育ちなんですね。
府中です。私が子どもの頃は、まだ田んぼがたくさんあって、ザリガニを釣ったり、ナズナをちぎって食べてみたり……。外遊びが多い、活発な子でしたね。
――運動もお得意でしたか。
得意でしたね。小4からバスケットボールを始めて、中学まで。ポジションはガードでした。高校生や男子のチームとも練習試合をする強いチームで、中3のときには全国大会にも出ました。その頃はバスケ一色でした。
――それが、演劇の道へ。どんなきっかけがあったのですか。
全国大会に行くと、もっと強いチームの存在を、身をもって知りました。あるチームは全員が身長170センチ以上で、本来はバレーボールの選手だったんです。でも、バレーだけだと偏るので、バスケもやっている。「そんな人が将来、スポーツ選手になっていくんだ。自分は身長も低いし、無理だな」と思ったんです。高校はスポーツ推薦も可能だったんですけど、バスケは中学までと決めました。
そんなとき、母から演劇科のある高校と、ミュージカル劇団の養成所を勧められました。二択です。私は小1からピアノを習ったんですけど、あまりにもじっとしてないので、ピアノの先生にバレエの先生を紹介されてしまいました(笑)。それでバスケと並行して、バレエも続けていたんです。踊ることには慣れていたので、そんな学校も楽しくていいかな、と。
ただ、養成所は、みな髪は真ん中分けの三つ編み。高校の方は、数学の授業が1年までしかないというのを聞いて、そちらに決めました(笑)。そうして進んだ高校に、劇団四季の人が教えに来ていたんです。
厳しかった劇団四季の研究生時代
――高校卒業後は劇団四季の研究生に。厳しい世界なんですか。
研究生は毎朝、お掃除から始まります。シャワー室やトイレ、おけいこ場をきれいにします。9時からはバレエやジャズダンスのレッスンです。お昼休みを挟んで、午後は歌やタップダンスなどのけいこ。で、終わってからは個人練習の時間です。みんなが夜遅くまで続けます。
それでも全員が劇団四季に入れるわけではなく、1年後の試験に合格しないと入団できないんです。
入ってからも競争です。「この役ができる人」と聞かれたら、手を上げて、演じてみせる。認められたら役がもらえます。だから、先輩のビデオを見て研究し、役を狙うんです。
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