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ケアノート

コラム

[盛田隆二さん]命慈しむ気持ち強く

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認知症の父 病抱える妹

 作家の盛田隆二さん(63)は、認知症となった父の隆介さんを約10年にわたって介護し、2013年、91歳で 看取みと りました。介護と仕事との両立に悩み、心の健康を損なったこともありましたが、「人のために時間を使うことで、命を慈しむという感情に気づいた」と振り返ります。

[盛田隆二さん]命慈しむ気持ち強く

「介護はすべてが初めての体験。初めは混乱しても、トラブルや行動のパターンが見えてくると少し楽になります」(埼玉県内で)=宮崎真撮影

 父に認知症の症状が出たのは、02年に母が亡くなって間もなく。家事は母に任せっきりだった父は、一日中ソファに腰掛けて過ごす中、認知症が進行していったのです。

 母は1996年にパーキンソン病と診断されました。看護師を退職して間もなくでしたが、新規開設する訪問看護ステーションの管理者に選ばれ、仕事を続ける考えでした。

 東奔西走し、ようやく開設にこぎ着けた直後、母の症状が急に悪化しました。手足は 萎縮いしゅく し、気管切開を受けるまでに。それでも母は、自分亡き後の父を心配します。一方で父は母の病に不安で仕方ない様子。母は入院から2か月ほどで亡くなりました。実家には、父と、統合失調症を抱える妹が残されました。

  《2人が互いに面倒を見るのは難しかった。妻の協力のもと、盛田さんが2人を支える生活が始まった》

 2年ほどして父は要介護1と判定されました。足腰は弱り、着替えを忘れたり、たばこの火を消し忘れたり。でも父は提示されたケアプランをことごとく拒否し、ヘルパーの訪問も、デイサービス利用も突っぱねました。

 入退院を繰り返す妹には頼れない。平日は私が週2回、妻の仕事が休みの週末は夫婦で世話しました。「下着を替えよう」などと息子に言われるのは切なかったでしょう。

 いつか限界が来ると感じ、母の同僚だったケアマネジャーに相談して介護老人保健施設に入所させました。短期入所が原則で、3か月後には次を決めなくてはならない。ようやくほっとしたのに、というのが本音。「自宅が無理なら、ついの住み家を探さないと」というケアマネさんの言葉が重くのしかかりました。

 幸い延長できましたが6か月が限度でした。「退所できるよ」と聞かされた父が「うんうん」とすごく喜んでいたのを今も思い出します。

 ところが同じ頃、妹の病状が悪化し入院。自宅に戻った父は再入所することになり、その後も妹の入院と父の入所が繰り返されました。

  《隆介さんは被害妄想も増えてきた。妹も入退院を繰り返す。そんな中、今度は盛田さん夫婦に異変が起こる》

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隆介さんの晩年、親子で花見に出かけたときの一コマ。隆介さんの柔和な笑顔が印象に残っているという(2012年撮影)

 私が不眠症や不安障害に見舞われ、うつ病と診断されました。父の生活、妹の生活、自分の生活と仕事、すべての歯車をうまく回そうとして行き詰まったのでしょう。同じ頃、妻は椎間板ヘルニアを発症。途方に暮れましたが、どうせ調子が悪いのなら自分の歯車を外そうと仕事を休みました。それだけでも心が楽になり、意外と物事が進むようになりました。少々時間がかかりましたが、私も妻もなんとか回復しました。

 それから1年ほどたった秋、父は腸 閉塞へいそく で入院しました。胃ろうの生活となり、寝たきりに。性格は粗暴になり、妄想や幻聴も強くなりました。でも容体が安定すれば退院せざるを得ない。受け入れ先を探していたところ、長年世話になってきた施設が看取り介護もしていると知り、入所を決めました。

  《うつろな意識のまま施設に戻った隆介さん。盛田さんには、床ずれの痛み、たんの吸引や胃ろうという行為は父を苦しめているだけのようにも思え、延命行為を続けるかどうか悩んだ》

 延命行為をやめる勇気はありませんでした。父自身がどう感じているか、そもそも分からない。施設に戻って3か月ほどしたある日、父は高熱に見舞われ、そのまま息を引き取りました。

 家族の晩年にまつわるあらゆる経験を積んだように思います。感情の高まりが心のバランスを崩すことも体感しました。うつ病を患ったことで父や妹の命を慈しむ気持ちは強くなりました。妻と母が長年、自分の時間を家族のために使ってきてくれたことにも気づきました。悔やむのは、現役時代は忙しく、どんな晩年を迎えたいのか父に聞く機会がなかったことです。

 会社員からフリーになった時、私はすべての時間を自分で使えると喜んでいましたが、人生はそればかりではなかった。誰かのために時間を使うことで、大切なことを知ることができたのだと、今は思います。(聞き手 上原三和)

  もりた・りゅうじ  1954年、東京都生まれ。情報誌「ぴあ」編集者の傍ら小説を執筆し、96年に専業作家に。代表作に「夜の果てまで」「二人静」など。「父よ、ロング・グッドバイ―男の介護日誌」(双葉社)には、父の介護記録のほか、母の晩年の様子や、入退院を繰り返す妹についても記した。

  ◎取材を終えて  高齢化が進む昨今は、どのような順番とタイミングで身内を介護する時が訪れ、どれだけの期間に及ぶか見当もつかない。「父と妹のためだけに時間を使う生活。最初はイライラの連続でした」と盛田さん。「でも5、6年もすれば仕事のようになる。父には怒ってばかりでしたが」と振り返るが、きめ細やかに接していたからこそのもどかしさもあったのだろう。自分もそのような心持ちになれるだろうかと考えさせられた。

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