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いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち

コラム

小児がんとの闘い(2) 手術をすれば100%障害が残る しなければ100%命が…

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意を決して行った大手術 しかし術後に…

 主治医だった私は深く悩みました。こうした手術は100%治ると確信が持てたときにしか、やってはいけないのではないか? 手術で治るとしても、子どもの体に傷を付けるような手術をすることが果たして許されるのだろうか?……と自分に問いかけました。

 両親と何度か話し合いを持つうちに、2人は俊平君の命を何よりも重要に考えていることが分かりました。俊平君に直接尋ねることはしませんでしたが、お父様の話では俊平君も手術に同意しているようでした。私たちは意を決し、手術に挑むことにしました。

 小児外科医3人と泌尿器科の医師1人が加わり、長時間の大手術になりました。やはり腫瘍は周囲に浸潤しており、大量に出血し、摘出するのは難航を極めました。最後にストーマを作って手術を終了したとき、私は達成感よりも、俊平君の体に取り返しのつかない傷を負わせたという罪悪感を強く持ちました。

 手術が終わって1週間すると、私は抗がん剤治療を再開しました。ここまで大がかりな手術をした以上、何が何でも俊平君を助けたいと思っていました。ところが、腫瘍は肺に転移しました。抗がん剤を使っているにもかかわらずです。もう私たちにはいかなる治療手段も残っていませんでした。俊平君のがんとの闘いも終わりました。

今も手に残る「あのときの手術の感触」

 手術をしたことは本当に正しかったのでしょうか? それは今でもわかりません。ただ、俊平君の手術から12年後に私は、前立腺から発生した横紋筋肉腫の赤ちゃんに出会うことになります。俊平君と同じような手術を行い、ストーマを作りました。この子は、病気を克服して今も元気に中学校生活を送っています。

 俊平君の家族と最後に会ってから、長い年月がたちました。しかし私の両手には、あのときの手術の感触がまだ残っています。自分は、超えてはいけない一線から足を踏み出してしまったのではないかという苦い思いも残っています。私にできることは、一家のことをいつまでもおぼえていることです。手術前の最後の面談で、俊平君の父親が「ストーマと共に、一緒に生きていきます」と言ってくれた表情が、くっきりと脳裏に残っています。(松永正訓 小児外科医)

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いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち

 生まれてくる子どもに重い障害があるとわかったとき、家族はどう向き合えばいいのか。大人たちの選択が、子どもの生きる力を支えてくれないことも、現実にはある。命の尊厳に対し、他者が線を引くことは許されるのだろうか? 小児医療の現場でその答えを探し続ける医師と、障害のある子どもたちに寄り添ってきた写真家が、小さな命の重さと輝きを伝えます。

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松永正訓(まつなが・ただし)

1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業、小児外科医になる。99年に千葉大小児外科講師に就き、日本小児肝がんスタディーグループのスタディーコーディネーターも務めた。国際小児がん学会のBest Poster Prizeなど受賞歴多数。2006年より、「 松永クリニック小児科・小児外科 」院長。

『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて13年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。2018年9月、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)を出版。

ブログは http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/

名畑文巨(なばた・ふみお)

1958年、大阪府生まれ。外資系子どもポートレートスタジオなどで、長年にわたり子ども撮影に携わる。その後、作家活動に入り、2009年、金魚すくいと子どもをテーマにした作品「バトル・オブ・ナツヤスミ」でAPAアワード文部科学大臣賞受賞。近年は障害のある子どもの撮影を手がける。世界の障害児を取材する「 世界の障害のある子どもたちの写真展 」プロジェクトを開始し、18年5月にロンドンにて写真展を開催。大阪府池田市在住。

ホームページは http://www.fumionabata.com/index.html

名畑文巨ロンドン展報告

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