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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

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認知症当事者が経験伝える「本人ガイド」

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リレートークで語る75歳の男性(右)

自分の言葉でリレートーク

 会場となった講義室は、約200席がほとんど埋まり、熱気にあふれていました。全国各地から約30人の当事者も集まり、後半のリレートークでは、一人ずつマイクを握って話してくれました。用意してきたメモを読み上げる人もいましたが、全員が自分の言葉で、認知症になってからの生活や、地元での活動、今後の目標などについて、しっかりと語っていました。

 世の中には、認知症になったら話せなくなると思っている人もいまだにいるようです。そういう人にこそ、こういう場面を見てもらいたいです。

 「発言するのは、65歳未満で発症した若年性認知症の人ばかり」という声も聞きますが、3年半前に診断されたという75歳の男性は、「最初はひどく落ち込んでうつになったが、今は元気を取り戻して、病院の臨時職員として働きながら好きな碁を楽しんでいる」と笑顔で語り、私の質問にも的確に答えてくれました。高齢であっても、人前で話すことも誰かと会話することもできるのです。

各地でよりよい「本人ガイド」を

 本人ガイドは、当事者から申し込みがあれば、無料で送っています。JDWGのサイトからダウンロードすることもできます。

 多くの人に活用してもらうのはもちろんですが、これを参考に、それぞれの地域でも本人ガイドを作ってもらえるといいと私は考えています。仙台市の「個人版ケアパス」を作った経験から、制作の過程で認知症の人の声に周囲が耳を傾け、一緒に活動する体制ができあがっていくという期待を持っているのです。

 地域の特性とアイデアを生かして、JDWGの本人ガイドを凌駕りょうがするような素晴らしい冊子があちこちで生まれるようになれば、社会の意識も変わっていくかもしれません。それこそが、この取り組みの一番の成功なのではないかと思うのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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