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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

医療・健康・介護のコラム

認知症当事者が経験伝える「本人ガイド」

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認知症当事者が作った「本人ガイド」

前向きな情報で、よりよい暮らし

 私も参加している認知症の当事者団体「日本認知症本人ワーキンググループ」(JDWG)が認知症の人のために作った冊子「本人にとってのよりよい暮らしガイド~一足先に認知症になった私たちからあなたへ」(本人ガイド)=写真=が今年3月に発行されました。その記念イベントが6月9日に東京・赤坂の国際医療福祉大学のキャンパスで開かれました。

 これまで、行政などが作る認知症関連の冊子は、家族など周囲の人向けのものばかりで、本人を対象としたものはありませんでした。しかし、認知症の診断を受けた直後で不安の中にいる人には、この先の人生を歩むための後押しになるような前向きな情報が必要なのです。その思いは他のJDWGメンバーも同じでした。

 私自身、先に認知症になり、不安を乗り越えてきた“先輩”たちが、明るく優しく力強く生きる姿に勇気をもらいました。今度は私たちが自分の経験を伝えるため、当事者向けの冊子を作ったのです。

 本人ガイドでは、認知症になっても、周囲の理解とサポートがあれば、残された能力を使って自分らしく暮らせることを伝えています。当事者の経験談を交えながら、認知症とともによりよい人生を送るためのアドバイスがまとめられています。

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本人座談会では、藤田和子さん(中央)、福田人志さん(右)と語り合いました

当事者だけの座談会

 記念イベントでは、JDWG共同代表の鳥取の藤田和子さん(56)、長崎の福田人志さん(55)と私の3人で、本人座談会を行いました。

 私が診断を受けた後に役所の窓口などでもらった冊子は、介護保険など病気が進んで重度になった人のための情報が中心で、ほとんど役に立ちませんでした。一方、藤田さんは、そういう冊子さえなかったといいます。これからの暮らしがどうなるのかを知りたくてネットで調べてみても、「認知症になると何も分からなくなる」といった暗い内容ばかりで、絶望したこともあると話していました。 

 福田さんは、診断直後には、認知症に関する本を読む時に「認知症」の文字を隠していたそうです。「自分が認知症になったことを認めたくない気持ちがあった」というのです。

 周りに認知症と知られたくないと思う人は少なくありません。この本人ガイドを作る際にも、表紙に「認知症」という言葉を入れるべきかどうかが議論になりました。その結果、普段は認知症に関わりのない人にも広く認識してもらうには、やはり「認知症」の文言が必要という結論になったのです。

 私は、同じ時期に地元の仙台市でも、当事者向けの冊子として「個人版ケアパス」の作成を進めていたことを紹介しました。その際、当事者の視点で冊子を作るために作成メンバーが当事者に会いに行き、日々の様子を写真に撮ってじっくりと話を聞いたことで、だんだんと意識が変わっていった経験を話しました。

 座談会の開始前に短い打ち合わせをしただけで、台本などはありません。主に私が司会を務め、3人で率直に思いを語り合いました。

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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