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「息子は女性」 生き方認めた…はるな愛さん 母からの手紙
便箋7枚に美しい文字でつづられた手紙は、母が送ってくれたもの。封筒には14年前の消印が残る。美形のニューハーフとして、テレビに出始めた頃だ。
実は、手紙を書くよう頼んだのは自分だった。当時はまだ、LGBT(性的少数者)という言葉もあまり認識されていなかった。ただ、生まれつきの性別に違和感を持つ子どもと、その親はほかにもいる。
母の苦労話を本にして、多くの人にその存在を知ってもらいたかった。そのためにまず、母の気持ちを手紙に書いてもらった。
<息子が高校を中退し、帰宅しない日が続いたのは、男らしく振る舞うよう自分がうるさく言ったから><もっと話を聞いてあげていれば>。手紙には、女性になりたいと願う長男に、一時背を向けた母の気持ちが正直に吐露されていた。
「私は当時もがいていたけど、お母さんも苦しかったんだ」。文字が読めなくなるほど涙があふれた。
幼い頃は、将来、女の子になれると信じていた。成長して身体に男性らしさが増すと、思いは打ち砕かれた。高校に入学してまもなく、母の声まねをして学校に電話をかけ、早退を繰り返していたことが親にばれた。早退は、好きな男性に会いに行くためだった。
覚悟を決め、父に「女性として生きたい」と伝えると、「男なら1番になれ」と応援してくれた。母はすぐには理解してくれず、関係は冷え込んだ。しかし、「いずれは絶対にわかってくれると確信していました。お母さん、大好きやったから」。
実家を離れてからも、母にはまめに電話をかけたり、会いに行ったりして、気遣うようにした。
一方で、母も息子に歩み寄ろうと努めたのだろう。母の住む家に行ったときのことだ。風呂上がりに、ピンクのパジャマを用意してくれていた。女性として受け入れてくれたことに感謝した。
大阪のショーパブで人気者となった後、東京でタレントの活動を始めたが、最初は鳴かず飛ばず。活躍の場が広がったきっかけは、バー経営の成功だった。女性の姿なのに、あえて男性の声で接客をすると、「おもしろい」と客足が伸びた。「元が男というコンプレックスが、最大の個性でもあると気付きました」
女性らしく、だが時には男の顔ものぞかせて、自分に素直に楽しく生きる。そんな姿が共感を呼び、お茶の間の人気者になった。
「もう一度ニューハーフで生まれてきたい」とテレビで公言する息子。それに対し、母は14年前の手紙に、<肩の荷がおりた様な気がした><自分の生き方に後悔していないならいい>などと書いた。
手紙の書籍化はまだ実現していないが、読み返す度に、母の愛情を感じて目頭が熱くなる。「今後は、語学や芝居などを勉強して引き出しを増やし、海外でも活動しながら、LGBTへの理解も広めたい」。手紙はいつも、そんな自分を後押ししてくれている。(遠藤富美子)
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はるな・あい 1972年、大阪府生まれ。2008年に歌手デビュー。09年、ニューハーフの世界コンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン」で優勝。バラエティー番組やテレビCMなどで活躍。ミニアルバム「BONダンス」を発売中。
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