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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

医療・健康・介護のコラム

国内初の認知症当事者団体に参加…堂々と語る姿に圧倒され

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日本初の認知症当事者団体に参加…堂々と語る姿に圧倒され

「日本認知症ワーキンググループ」の共同代表に就任した藤田和子さん(奥の列の右から2人目)と埼玉の佐藤雅彦さん(同3人目)などが集まり、会議を開いているところです。私(手前左)は、この時はまだ顔を出す決心がつかず、後ろ姿で写真に納まっています

「世の中を変えたい」その思いに感動

 仙台市や宮城県が、認知症の当事者の声に耳を傾け、私たちと一緒に様々な新しい取り組みをスタートしていることは、前回のコラムでお伝えしました。実はその少し前から、認知症関連の政策に当事者の意見を生かそうという全国的な動きがあったのです。

 2014年7月、私は精神科医の山崎英樹先生に誘われて、東京・町田で開かれた「認知症当事者研究」勉強会に参加しました。この勉強会は、当事者のほか、医療・福祉関係者や行政職員などが全国から集まり、「認知症と共にどう生きるか」「認知症のことをどう伝えていくか」を話し合うのが目的です。

 会場を見渡しても初対面の人ばかりで、誰が認知症で誰がそうでないのか、全く区別が付きません。それくらい当事者が生き生きとしていたのです。そして、一人ひとりが自分の意見をはっきりと述べるのを見て、圧倒されてしまいました。中でも、鳥取から来た藤田和子さんの発言に感動を覚えました。

「私たち抜きに私たちのことを決めないで」

 それまで、認知症関連の政策をつくるのに、当事者の意見が取り入れられることはほとんどありませんでした。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という藤田さんの言葉は、私の胸に響きました。

 また、介護がまだ必要ではない診断直後の人には、役に立つ支援がほとんどありません。その「空白の期間」のことを広く知ってもらい、これから認知症になる人が安心できるような制度にしていくために、私たちが発信していくことが大切――。藤田さんが話すのを聞いて、「こんなふうに日本の社会全体に目を向けて、的確な指摘ができる当事者がいるのか」という驚きがありました。

 それまでに私自身も、県職員の研修会などで講演する機会が何度かあり、自分の経験や思いを率直に語ってきました。しかし、藤田さんの話は、私とは全く違っていました。世の中を変えたいという明確な意思を持ち、メッセージを発信して多くの人に伝えることができるのは、本当にすごいことです。

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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