いちばん未来のシニアのきもち
医療・健康・介護のコラム
高齢者は子どもと同じですか?
高齢者は弱者なの?
高齢者を完全な大人ではなく弱者としてとらえる姿勢を、英語では「エイジズム」といいます。その内容を、アメリカの老年精神科医、ロバート・バトラーは次のように定義しています。
――「人種差別や性差別が、皮膚の色や性別を持ってその目的を達成するように、老人差別は、年をとっているという理由で老人たちを組織的に一つの型にはめ、差別することである」
もちろん、コミュニケーションは、当事者間の関係や状況などに影響されますから、私が立ち会ったやりとりを絶対だめ!と一概に糾弾することはできません。
それでも、認知機能が衰えた高齢者にわかりやすく話すことと、子ども扱いをすることとには、大きな違いがあるはずです。こうした対応が、医療の現場で多くみられることにも、違和感を覚えます。
若いことがよいことなの?
かくいう私自身、世界保健機関 (WHO)が出している クイズ の中に、はっとする指摘をみつけました。
――「『実際のお年より、お若く見えますね』というコメントも、『若いことは、よいことだ』と思っている表れである」
確かに、このせりふは多用していました。ほめているつもりだったのです。でも、このような記事を書いている自分の中にも、無自覚のエイジズムがあったのだと認識しました。
超高齢社会だから見直してみたい
エイジズムの視点を持って周囲を見まわすと、高齢であることを理由に、人生の選択の幅が狭まることに気づきます。
たとえば、ペットを亡くして落ち込んでいる70歳の友人に、保護猫をもらってあげようとした知人は、友人の年齢を理由に関係団体に断られたといいます。調べてみると、多くの保護犬、猫団体で、60歳以上の人は引き受けられないというルールがありました。
また、2015年に日本賃貸住宅管理協会が実施したアンケートでは、一人暮らしの高齢者が増え続けている現実とは裏腹に、大家さんの6割が高齢者に家や部屋を貸すことを嫌がっていました。
猫を保護する団体や大家さんたちに、不安や言い分はもちろんあるでしょう。でも、世界に先駆けて超高齢社会を生きる私たちが、知らず知らずのうちに高齢者の「イメージ」を固めてしまってはいないでしょうか。
高齢者の可能性を「高齢者だから」と、せき止めるのではなく、そこを乗り越えた上での新しい提案が生まれたら素敵です。
いずれ高齢者になるわれわれが、未来のためにも、今、そこを考える時期に来ている気がします。(臨床心理士 宮本典子)
(イラスト:西島秀慎)
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凄く難しいのが、子供は極めてまれな成長の速い天才や秀才を除いて子供であり、全員をまとめて子ども扱いしていいのに対して、高齢者との関係は多様性に富むということです。
高齢者には子ども扱いされたい人もいれば、嫌がる人もおり、TPOによって使い分けてほしい人もいるでしょう。
1人の時、2人の時、様々な集団の中で個人の立場や役割、願望は変わります。
精神症状とか社会的な扱いというのはデリケートで難しいわけですね。
同じタバコが原因で、通り道の咽頭や気管支、食道や胃に炎症やがんができたのであれば、みんななんとなく理解できるのに、心や社会的対応の問題になるとその複雑さ故に難しくなります。
実際、お金とか社会的関係とか絡むから、距離感は難しいものがあります。
ファーストネームやニックネームの取り扱いも人間関係の間合いを決める部分があって似ています。
いま、医療関係の知識も進歩してますし、社会構造もどんどん変化してますから、額面的側面から社会的対応まで何から何まで全てが一人前の社会人として社会に出てくる人は少ないと思います。
そういう意味でも、硬直した関係性や対応だけでなく、様々なオプションを提案、提示していくことが重要になると思います。
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