原記者の「医療・福祉のツボ」
医療・健康・介護のコラム
心の病気と貧困…苦しみの連鎖を抜け出すには――小林エリコさんに聞く(上)
『この地獄を生きるのだ』――。衝撃的なタイトルの本が、昨年末に出版されました(イースト・プレス、1400円税別)。雑誌編集者だった著者の小林エリコさん(40)は、ハードワークと経済的困難の中でうつ状態になり、自殺未遂と精神科受診を繰り返して、生活保護も経験しました。苦しみをもたらすものは何か、つらい状況にある人が求めるものは何なのか。約14年にわたる「地獄」から抜け出して、再生するまでの道のりを聞きました。
いじめからうつになった少女時代
――メンタルな問題は、早くから抱えておられたんですね。
「中学の時にいじめられて、熱が下がらなくて、体が痛くて、学校へ通えなくなったんです。出席日数が足りなかったけれど、卒業はさせてもらいました」
――うつ状態になると、気分の落ち込みより先に、身体に症状が出ることも多いですね。
「自分としては、登校拒否じゃなくて病気ですね。自分も親も不登校したらいけないという考えが強くて、調子が悪くても、母親の自転車の荷台に乗せられて学校へ行ったりしました。そのころは不登校というと、甘えてるとか、頑張りが足りないとかいう風潮が強かったから」
――私の子どもが以前、不登校になった時は、無理に行かなくていいと言いましたが、学校関係に限らず、人を責めたがる人は多いですね。人に厳しくしたほうがいい、甘やかすなという「しごき思想」。生活保護の問題でも、そんな意見はよく出る。スポーツ関係ではそういう風潮がまだ強いし、職場にもある。しごいて生産性が上がるとは思えませんが……。高校はどうでした?
「友達ができず、進学先も親に反対されて悩みました。一晩中、眠れなくなって、このままだと死ぬかもしれないと思って、精神科へ連れて行ってくださいと母親に頼みました。かかったのは精神科の病院。最初の女性のドクターは、すごく威圧感のある人で、何度か通院して『病気が良くならない』と言ったら、『この病気がそんなに早く治るわけないでしょ!』と怒鳴られて……」
――薬を出されたんですか?
「はい。でも当時は、薬の説明が何もなかったですね。薬をのんで眠れるようにはなったけれど、今度はハイテンションになって、それでのむのをやめたら、もっとうつになったり……。短大時代もうつはひどくて、通院していました。でも、不登校はいけないと思って、まじめに通常の2年で卒業しました」
やっと得た職は「エロマンガの編集者」
――短大を卒業したけど、就職できなかったんですね。1998年だから、山一証券や北海道拓殖銀行が破綻した翌年で、大不況になって失業者が急増した時期ですね。そのあと雑誌の編集者になった。ただしエロマンガの雑誌。若い女性なのに抵抗感はなかったですか?
「就職できなくて、東京に出て、5月ごろに求人雑誌を見ていたら、正社員の募集と書いてあったんです。面接に行ったら『うちが出してるのは、こういうマンガです』と説明された。びっくりしたけど、マンガは好きだし、国語が得意だったから、編集業務をやれるのはうれしかったですね」
――たとえエロマンガでも、編集は簡単じゃないですよね。
「ちゃんと仕事は覚えましたよ。漫画家さんと打ち合わせして、送られてきたネーム(せりふ)を写植して……。仕事自体は楽しかったですね。でも仕事量がめちゃくちゃ多くて。月刊誌を1人で1冊、仕上げてたんです。休みの日は死んだようになってました」
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