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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

医療・健康・介護のコラム

仙台市にやっと届いた認知症当事者の思い

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冊子づくりで担当者の意識に変化

 完成した冊子を配布する前から、「この取り組みは、すでに半分成功している」と思っていました。市の担当者やワーキングメンバーの医療・介護関係者たちが、ケアパスを作るために当事者の話を何度も聞くうちに、だんだんと意識が変化していくのを感じていたからです。完成した冊子そのものではなく、それを作る過程によって、世の中が変わっていくということもあるのだと、この時に学びました。

 それだけでも手応えを感じていたのですが、冊子自体もけっこう評判になりました。他県の自治体から、「自分たちのケアパスを作る参考にしたいので、送ってほしい」という依頼がたくさん寄せられたそうです。

 その後、市内約50か所の地域包括支援センターごとに、それぞれの地域の情報を集めた「地域版ケアパス」が発行されたほか、認知症の人自身が、自分の気持ちやこれからやりたいことなどを書き込んで、自分の生きがいを見つけたり、周りの人と思いを共有したりするのに使える「個人版ケアパス」もできました。

無駄ではなかった「市長への手紙」

 そうした活動を通じて、市の担当者との関わりが増えていきました。「認知症の人と家族の会」のつどいや、私たちが開いている当事者のための相談窓口「おれんじドア」にも参加してくれるようになりました。

 ある日、みんなで食事をしていたときのことです。一人の女性職員が、介護予防推進室で認知症を担当することになったが、初めは何をやればいいのか分からず、古いファイルを開いたところ、私が市長に宛てて書いた手紙が出てきた、と話してくれました。「それを読んで、まずは当事者に話を聞くべきだと思い、丹野さんに連絡をとった」というのです。

 「仙台市を変えてほしい」という思いで書いた市長への手紙。届いた返信には、当たり障りのない言葉が並べられているだけで気持ちがこもっているとは思えず、がっかりしましたが、あれは無駄ではなかったのです。「役所なんて、どうせ変わらない」と諦めてしまわずに、まずは一歩踏み出してみて、本当によかったと思いました。

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ユーチューブで公開している動画の一場面です。仕事帰りに市の事務所に寄って、若手職員が回すホームビデオカメラで撮影してもらいました

一般市民へのビデオメッセージ…地域が変われば日本が変わる

 16年3月には、市の担当者の発案で、「認知症サポーター養成講座」の受講者へのビデオメッセージを作りました。ともに支え合う社会を作るため、一般市民や子どもたちに認知症のことを学んでもらう講座です。認知症の人が、一方的に世話をしてもらうのではなく、できないことをサポートしてもらいながら、できることを一緒にやっていけるような関係を望んでいることを私の言葉で語りかけました。

 この動画をユーチューブで公開して、誰でも自由に使ってよいことにしました。仙台市や宮城県だけでなく、全国のサポーター養成講座で活用してくれているようです。

 現在、私は宮城県の認知症地域ケア推進会議の委員もやっています。認知症と診断されたばかりのころは、役所に対しては不満だらけの私でしたが、今は、行政が私たちと一緒になって社会を変えていこうとしていると感じています。こんなふうに、それぞれの地域が変わっていけば、いつか日本の社会が変わっていく。そんな予感がするのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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