安心の設計
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声を上げる認知症の人…仲間と出会い前向きに
地域活動や講演で体験語る

堺市内で開かれた「希望の灯り」の集まりで話す曽根勝一道さん(右)と妻の重美さん(中央)、下薗さん(左)。3月に出場したソフトボール大会での活躍について話し、笑顔を見せた
認知症になった人による地域活動や情報発信の動きが広がっている。診断後も前向きに生きる姿が、多くの人の希望につながっているという。本人の意見を取り入れた施策作りも進んでいる。
「認知症になって良かったわけではないが、できることを精いっぱいしたいと思えるようになった」。9年前、認知症と診断された大阪府和泉市の 曽根勝 一道さん(68)は、そう語る。
当時は小学校校長。会議の予定を忘れたり、同じ物を何度も買ったりしたことから不安になって受診した。認知症と診断された後に退職。「人生は終わり」とふさぎこみ、6年間ひきこもりがちになった。人に会いたくなかった。
自分自身、認知症に関する知識はなく、「妻に暴力を振るうのではないか」という不安にとりつかれた。そうはならなかったが、認知症であることはごく親しい友人にしか言えず、妻の重美さん(67)と息を潜めるように暮らした。
「このままでは共倒れになってしまう」と感じた重美さんが3年前、わらにもすがる思いで訪れたのが、隣の堺市に拠点を置く団体「若年性認知症の人と家族と地域の支え合いの会 希望の 灯 り」だった。代表の下薗誠さん(58)が一道さんを農作業に連れ出すと、「風が気持ち良い」と、久しぶりの笑顔を見せた。
同じような認知症の人とナスやジャガイモを作って一緒に食べたり、ソフトボール大会に出たり――。「自分一人ではない。隠さなくてもいい」と感じ、救われたという。
こうした経験を経て一道さん自身も、重美さんや下薗さんと一緒に講演で自身の体験を話し、新たに診断された仲間に助言するようになった。
「認知症になっても全部忘れるわけでない」「自分も落ち込んだ。でも、人の役に立てる」。そうした言葉が仲間を勇気付けた。「自分を見て、しんどい人が元気になるなら」と一道さんは話す。
今、一道さんは新しいことを覚えても15分後には忘れてしまう。散歩で道に迷うこともあるが、近所の人たちに認知症であることを公表しているので、誰かが連れて帰ってくれる。重美さんは「夫は人との関わりを心から喜び、楽しんでいる」と感じている。
本人の視点を施策に反映
かつて「何もわからなくなる」と見られ、介護の対象とだけ捉えられがちだった認知症の人が、自ら声を上げる動きが広がっている。
2014年、本人の視点で政策提言を行う全国組織「日本認知症本人ワーキンググループ」が発足。厚生労働省も15年に認知症に関する総合戦略「新オレンジプラン」を作成し、認知症に関する施策を作る際には、本人の視点を重視する方針を打ち出した。
仙台市は昨年度、認知症の本人向けに地域の相談窓口などを紹介する冊子「個人版認知症ケアパス」を作成。認知症と診断された人の体験談や、「財布など外出時の持ち物は一まとめにしておく」「身分証明になるものを身に着ける」など、生活上の工夫を紹介している。
冊子の作成段階では、仙台市の会社員で39歳の時に認知症と診断された丹野智文さん(44)が委員として参加した。市の担当者は「『困ってることはないかと聞かれても困る。普通に暮らしたいだけ』と言われてはっとした」と振り返る。
丹野さんは「これまで行政が出す情報は、家族や支援者に向けたものが中心で、本人に向けたものはなかった。本人の思いを周囲の人が聞く機会が増えること自体に意義がある」と話す。
しかし、「長寿社会開発センター」の16年度の調査では、認知症施策を作る委員会などに本人が参加しているのは都道府県の12.8%、市区町村では0.7%とまだ少数だ。
(粂文野)
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今日は、受診日でした。私は全身性エリテマトーデスという難病です。血管が、詰まりやすいので、脳梗塞になり、うまく喋れない、記憶力の低下など、自覚してますが、お年寄りばかりのデイサービスや、ショートスティを利用しています。家に引きこもっているより楽しく、年配者は良き先輩です。娘のように可愛がってもらい、毎日楽しく暮らしています。
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