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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

医療・健康・介護のコラム

「認知症でも安心して暮らせるまちに」仙台市長に手紙

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どうにかしたい「縦割り」「たらい回し」

 これも昨年のコラムで書きましたが、障害年金のことを聞きに担当部署に行った時は、いきなり「なんで認知症になったの?」と聞かれたり、アルツハイマーは治らないのに、「病気が治る可能性があるので、初診から1年6か月たたないと、年金の申請はできません」と言われたりして、とても嫌な思いをしました。障害年金の担当者が、障害を持つ人にどう対応するべきか、分かっていないのです。

 「家族の会」でも、「こちらから聞いたことしか教えてくれない」「たらい回しにされて、時間がかかる」など、役所の窓口の対応を疑問視する声が度々、上がっていました。もう少しどうにかならないかと思っていたところに、「これに市長への手紙を書いて送ると、返事が届くよ」と、専用の用紙をもらいました。

改善願い、つづった思い

 区役所の窓口での自分の体験を述べ、「もう少し病気について勉強してもいいと思います」と、やんわりと苦情を書きました。そのうえで、仙台市が、認知症になっても安心して暮らしていける都市になるために重要と思うことをいくつか記しました。

 まず、「自分は認知症かもしれない」と思った時に、どの病院のどの診療科に行けばいいのか迷うので、当時建設中だった市立病院に、「そこに行けばいい」と誰にでも分かるような場所を作ってほしいこと。

 次に、認知症と診断された人が安心できるよう、どのような支援制度があって、区役所でどんな手続きができるのかということや、相談窓口や「家族の会」などの情報を得られる仕組みが必要であること。

 そして、「偏見のない、みんなで支えあえるような社会を作ってください。市長もいつ認知症になるかわからないのですから」と書いて、ぜひ「家族の会」のつどいに来て、本人や家族の声を聞いてください、とお願いしました。

 この手紙が仙台市政のトップに届けば、何かを感じてくれるかもしれない。そして、何かが変わるきっかけになれば……という期待を込めて、ポストに 投函(とうかん) しました。

届いた返事に落胆 ところが忘れた頃に…

 1か月ほどたって、返事が届きました。そこには、当たり障りのない言葉が並べられているだけで、改善に向けた具体的な取り組みなどは、一つも書かれていませんでした。市長の署名はありましたが、肉筆ではなく印刷のようで、本当に本人が読んでくれたのかも分かりませんでした。

 思いを込めて書いただけに、落胆しました。行政には、当事者の声は届かないのか。結局、何も変わらないのか、と。

 それから1年ほどたった、2015年の春頃だったと思います。私自身もこのことをほとんど忘れかけていたところに、市役所から予想外の連絡を受けたのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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