文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち

コラム

[インタビュー]18トリソミーの子を持つ親から①――でも産みたい、子どもに会いたいと…

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

最初の目標は「生きること」

―― 生まれた時の心咲ちゃんはどんな状態でしたか?

 仮死状態で生まれてきました。内臓系の疾患は、主に心臓の心室中隔欠損症だけでした。そして、徐々に肺高血圧症が進行してくる状況でした。体重は1789gで低体重児として生まれましたが、40週までおなかにいられたことで、 身体はしっかりと育っていたようです。

―― 家族にとって最初に目指したものは何ですか?

 心咲の最初の目標は、生きることでした。分娩室から新生児集中治療室(NICU)に移り、直接声が聞けたときが、今でも最もうれしかった瞬間です。その時に名前を決めました。明るく優しい心でたくさんの人を笑顔にし、みんなから愛される人生を送ってくれることを願って、心咲にしようと。

生後8か月で退院 親子3人で一緒に寝た!

―― 心咲ちゃんを長く診てくれている主治医はどんな先生ですか?

 ともに考え、ともに歩んでくれる先生だと思います。主治医との出会いは妊娠37週のときです。里帰り先から東京に転院してすぐ、循環器小児科で心エコーをしてもらい、心室中隔欠損症の確定診断が付きました。そして、「生まれたら早いうちにバンディングという手術をすることを考えておかなければならない」と言われ、まだ見ぬ子どもの未来について、私たちが覚悟と目標を持つきっかけもつくってくれました。生後2か月になる前、手術を安全に行うための体重の目安は2000gでしたが、状態が上がらず1800gで行いました。

―― バンディングとは、肺に血液が多量に流れ込まないように、肺動脈をテープで締める手術ですね。では、次の目標は何でしたか?

 それは、家で一緒に暮らし、親子3人で一緒に寝ることでした。これは生後8か月のときに実現できました! 

 1800gで手術をした後は自宅近くの病院に転院し、退院するのは「3000gを超えたときに」と決まっていました。そして退院の日、初めて外の光を浴び、待ちに待った家での生活は本当に印象的で、うれしかったです。(次回に続く)(松永正訓 小児外科医)

2 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

inochihakagayaku200

いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち

 生まれてくる子どもに重い障害があるとわかったとき、家族はどう向き合えばいいのか。大人たちの選択が、子どもの生きる力を支えてくれないことも、現実にはある。命の尊厳に対し、他者が線を引くことは許されるのだろうか? 小児医療の現場でその答えを探し続ける医師と、障害のある子どもたちに寄り添ってきた写真家が、小さな命の重さと輝きを伝えます。

matsunaga_face-120

松永正訓(まつなが・ただし)

1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業、小児外科医になる。99年に千葉大小児外科講師に就き、日本小児肝がんスタディーグループのスタディーコーディネーターも務めた。国際小児がん学会のBest Poster Prizeなど受賞歴多数。2006年より、「 松永クリニック小児科・小児外科 」院長。

『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて13年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)など。2017年11月、『子どもの病気 常識のウソ』(中公新書ラクレ)を出版。

ブログは http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/

名畑文巨(なばた・ふみお)

1958年、大阪府生まれ。外資系子どもポートレートスタジオなどで、長年にわたり子ども撮影に携わる。その後、作家活動に入り、2009年、金魚すくいと子どもをテーマにした作品「バトル・オブ・ナツヤスミ」でAPAアワード文部科学大臣賞受賞。近年は障害のある子どもの撮影を手がける。世界の障害児を取材する「 世界の障害のある子どもたちの写真展 」プロジェクトを開始し、18年5月にロンドンにて写真展を開催。大阪府池田市在住。

ホームページは http://www.fumionabata.com/index.html

名畑文巨ロンドン展報告

いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたちの一覧を見る

最新記事