いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
全力で守った命――13トリソミーの子(4)二分脊椎と無呼吸発作を越え 幸せだった10年8か月
悠輝 君(仮名)を身ごもっている時、母親は妊娠高血圧症になりました。体重がかなり増加傾向でしたが薬でうまくコントロールし、産科の先生からは「何の問題もなくお産に臨めるでしょう」と言われていました。しかし予定より1か月早く破水が起こりました。母親は病院に入院し、2日後に悠輝君を産みます。
出産後すぐに大学病院へ運ばれたわが子
早朝に分べん室に入ってから、悠輝君が出てくるまでは30分でした。生まれた直後には産声がしっかりと聞こえていましたが、やがてその声が小さくなっていきました。助産師さんは悠輝君を隣の部屋へ連れていき、それっきり戻ってきませんでした。母親は嫌な予感を覚えました。
しばらくすると、小児科の医師が分娩室に現れました。先生は、悠輝君に奇形があること、体が著しく弱いことを告げて、大学病院へ搬送すると説明しました。救急車には祖母が同乗しました。父親はバイクで救急車のあとを追いました。母親は居ても立ってもいられませんでした。できれば一緒に救急車に乗ってついていきたいと思いました。しかし当然そんなことは許されず、極度の不安の中で声を押し殺して泣き続けました。
夕方になって父親が大学病院から戻って来ました。悠輝君には口唇口蓋裂や二分脊椎という先天奇形があると知らされました。二分脊椎とは、背中の皮膚が裂け、割れた脊椎から脊髄神経が脱出している病気です。手術は大変に難しく、はみ出した脊髄を骨の中に納めても、排尿や排便、歩行に障害が残ることが普通です。
母親は翌日から、電車に乗って大学病院の新生児集中治療室(NICU)に通いました。手術を控えている悠輝君に一刻も早く母乳を届けたかったからです。
脊椎の難手術にも耐え
生後8日目に悠輝君は二分脊椎の手術を受けます。手術開始から6時間たって手術室から出てきた医師の顔を見て母はびっくりしました。げっそりとやつれていたからです。二分脊椎の手術がどれほど大変で難しいものなのか、心底思い知らされました。そしてその手術をがんばり抜いた悠輝君を見て、「この先、この子が生きていく上で、絶対に後悔しないように親としてできる限りのことをしよう」と心に誓いました。
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