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QOD 生と死を問う 第8部

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[QOD 生と死を問う]最終回 より良い最期とは 

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家族負担ない在宅態勢を…社会学者 袖井孝子さん 79

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 QODのDは、「death」より「dying」がふさわしいと思っています。死の瞬間だけでなく、死を意識するようになってからの生き方や、悲しみからの遺族の立ち直りまでも含めた「一連の死のプロセス」の質を高めることが大切だからです。

 2007年出版の「死の人間学」(金子書房)では海外の先行研究も参考に、QODの高さを測定する方法を試論として示しています。「医師はマイナス効果まで含めて治療方法を説明したか」「家族や親しい人と過ごす時間はあったか」「望んだ場所で死を迎えることができたと思うか」といった25の項目を、最期を 看取みと った人が5段階で評価する内容です。

 日本の医療現場では長い間、終末期でも延命治療を行うのが当然のように考えられてきました。日本老年医学会が大変な議論の末、「治療の差し控えや撤退も選択肢」とする見解をまとめたのは12年のことです。

 延命治療は苦痛を与えるだけの場合もあり、最近は、エンディングノートで「やめてほしい」と意思表示する人も増えています。「できればやりたくない」という医師の声もよく聞きます。「人生をどのように締めくくるか」を自ら決めることが必要な時代になったと言えます。

 実は私自身、エンディングノートを書きかけてそのままになっています。輸血をするか、しないかなど、延命に関係する医療行為の一つ一つについて態度を決めなければならず、とても難しいのです。医療関係者のアドバイスや解説をみんなで聞きながら、それぞれが考えてエンディングノートに記入する。そんな機会がたくさんあるといい。人の心は揺れ動くものなので、何度でも書き直すことが必要だと思います。

 でも、日本人の場合、そこに「家族に迷惑をかけたくない」という思いが入り込みやすい点が心配です。施設や病院で生活する高齢者が「家に帰って最期の時を過ごしたい」と思っても、言い出せない場合がある。家族に負担をかけない、24時間対応の在宅ケア態勢づくりが、QODを高める意味でも必要です。

 ◇ そでい・たかこ  お茶の水女子大名誉教授。専門は老年学、家族社会学。一般社団法人シニア社会学会会長。NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長。

家族と「話すきっかけない」

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 厚生労働省が昨年12月に行った意識調査では、人生の最終段階の医療やケアについて、家族らと詳しく話し合っていると答えた国民は2.7%。55%は話し合ったことはないと回答した。理由は「きっかけがない」が最も多かった。

 地域によっては、自宅で最期を迎えたいと望む人のために、医師や看護師が自宅を訪問する態勢を整えたり、介護施設が看取りに力を入れたりしている。

 臨終の場が病院だけではなくなっていく中、どこで、どのように最期を迎えたいのかという「本人の意思」が、これまで以上に重要視されそうだ。

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