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コラム

[プロレスラー 藤波辰爾さん](上)脚に電気が走ったベイダー戦 腰痛で使った座薬の量はギネス級!?

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[プロレスラー 藤波辰爾さん](上)脚に電気が走ったベイダー戦 腰痛で使った座薬の量はギネス級!?

 40年以上、トップレスラーとしてリングに上がり続ける「炎の飛龍」藤波辰爾さん。巨漢レスラーの攻撃を受け、長期欠場を余儀なくされた経験もあり、そのレスラー生活はけがと病気の連続だった。にもかかわらず、64歳になった今も、元気でリングに上がれる秘けつは何なのか。ドラゴン流健康法についてお聞きした。(聞き手・二居隆司、撮影・高梨義之)

痛くても体は動く レスラーの習性

――プロレスラーといえば、どうしても「健康」「頑丈」というイメージが強いのですが。

 そうですね。僕自身、プロレスラーとして、「他人に弱みを見せてはいけない」という気持ちは常にありますね。リングに上がっている限りは、骨折や捻挫は日常茶飯事なのですが、痛がっている様子は見せないようにしています。ただ、今振り返ると、自分の健康、体の丈夫さを過信していた部分があったと反省しています。

――藤波さんといえば、深刻な腰痛による長期欠場が、まず思い起こされます。きっかけは、1989年6月22日、長野県佐久市総合体育館での対ビッグバン・ベイダー戦でした。

 バックドロップを受けた際に、脚に電気が走ったような感じがありました。それまでも何度か同じような経験があり、時間がたてば元に戻ることができていたので、その時は試合をそのまま続けたのですが、試合が終わって、控え室に戻ったとたんに動けなくなったのです。「いつもの痛みとは違う」と感じたので、試合後すぐに、団体のスタッフに車を運転してもらい、東京まで戻り、知り合いの医者、整体師に頼み込んで診てもらいました。

 痛みはまったくひかず、次の日に病院で精密検査を受けた結果、椎間板ヘルニアとの診断を受けました。

――それでも、しばらく試合に出続けていたのですよね。

 運悪くというか、(アントニオ)猪木さん(当時、新日本プロレスの社長でレスラー)が、初めての参議院選挙を戦っている最中で、団体の二枚看板のうち、僕しかリングに上がっていなかったのです。それで無理して、痛み止めの注射を打ちながら試合に出ていました。

 レスラーの習性なのでしょうね。どんなに痛くても、いざお客様の前に出ると、体が動くのです。ただ、人間の体にはやはり限度があるので、10試合ほどすると注射が効かなくなり、やむを得ず休場することにしました。

まだまだ現役 「腰にはメスを入れたくない」

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――復帰まで、1年3か月かかりました。

 心配してくれたファンや後援者の方に紹介してもらい、全国北から南まで、数え切れないぐらいの専門医、整体師を訪ねました。しかし、どうやっても痛みがひかない。ほぼ半年間、毛布にくるまったままで自宅のソファに座り、痛みに耐える日々が続きました。あまりに痛くて、マンションの窓から飛び降りる光景まで想像しました。

 希望の光が見えてきたのは、10か月ほどして、ある専門医に出会ってからです。その方は、「痛みがある時に、痛みを感じる治療をしてはいけない」と、とにかく腰の炎症がひくまで安静にしているようアドバイスしてくれました。当時、僕は36歳で、まだまだ現役を続けたかった。大事な腰には絶対メスを入れたくないと思っていました。一方で、「治したい」との思いが強くて、過度な治療を行っていた。無理をしないことで、徐々に腰も快方に向かっていきました。

――その経験から学んだことは?

 やはり、自分の健康を過信しない、ということですね。これは一般の方にも言えることだと思います。それ以来、時間が許せば、体のマッサージをしてもらったり、温泉につかったりしています。あと、その時の専門医の方から、「朝は寝床の中で、必ず手足を伸ばし、ウォーミングアップをしてから起きるように」とアドバイスをいただき、それは今でも実践しています。

――それでも根治的治療ではなかったので、その後も腰痛には悩まされたそうですね。

 座薬を使いながらリングに上がっていましたね。結局3年前、脚を動かすことが困難になり、脊柱管 狭窄(きょうさく) 症と診断され、手術を受けるまで、腰痛には悩まされました。担当医には、「藤波さんの座薬の使用量はギネス級だ」と言われましたよ。これでは、あまり反省しているとは言えませんね。

 僕の場合は、プロレスラーとして無理したのがたたった部分がある一方で、レスラーとしての基礎体力があったおかげで、無事でいられた面もあると思います。一般の方には、反面教師にしてほしいですね。

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ふじなみ・たつみ
 1953年、大分県生まれ。70年、16歳で日本プロレスに入門。71年5月、デビュー。72年3月、新日本プロレス旗揚げに加わる。74年12月、第1回カール・ゴッチ杯で優勝。75年6月、海外遠征へ。カール・ゴッチ氏のもとで修業を積む。78年1月にWWWFジュニアヘビー級王座を獲得。同年2月に帰国、空前のドラゴンブームを巻き起こす。81年10月、ヘビー級転向後は、数度にわたりIWGPヘビー級王座、タッグ王座についた。2006年6月、新日本プロレス退団。現在は、プロレス団体「ドラディション」主宰。15年3月に米国WWEの殿堂入り。ドラディションの大会「BACK TO THE NEW YORK TOUR」は、4月20日午後7時から東京・後楽園ホール、同21日午後4時から大阪南港 ATCホール・Cホールで開催。

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