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核廃絶の日 目指して 平和運動家 森滝春子さん

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 <被爆地ヒロシマの市民として、世界で平和を訴えてきた。原水禁国民会議議長を務め、反核運動を率いた森滝市郎さんを父に持ち、大きな影響を受けた。>

「イラクではすぐそばで銃撃戦が起きたり、がんを抱えながら親をみとったり。結構大変なこともありましたが、その割にはしぶとく生きています」(広島市佐伯区で)=野本裕人撮影

「イラクではすぐそばで銃撃戦が起きたり、がんを抱えながら親をみとったり。結構大変なこともありましたが、その割にはしぶとく生きています」(広島市佐伯区で)=野本裕人撮影

 核兵器を初めて法的に禁じる「核兵器禁止条約」が7月に国連で採択されました。当初、世界の著名な平和運動家からさえ「非現実的だ」との声が聞かれました。そんな中、活躍したのが国際NGOの20~40代のスタッフ。枠にとらわれず発想する彼らの姿を国際会議などで目の当たりにし、若い力を肌で感じました。

 私自身は50歳で乳がん、今は肺と 膵臓すいぞう のがんを患い、体調を見ながらの活動です。条約には核保有国や日本は参加しておらず、核兵器がなくなる日まできっと生きられない。けれど、解決への大きな基盤はできたと感じました。

 戦後の激動期、被爆体験を基に人生を運動に ささ げた父と、愚痴も言えば横着心もある自分では、比較にならない。でも気づけば、後を追っていた。現実の壁にぶつかると、「父ならどうしただろう」と心の中で問いかけます。父もこんな苦悩を抱えていたんだろうと、身近に思えるようにもなりました。

 <原爆投下時は6歳で、母やきょうだいと広島県北部に疎開していた。広島市内に戻ったのは4年後。原爆の傷跡が残る同世代の子の姿が運動の原点だ。勤務先の中学で平和教育に携わり、57歳で退職後、本格的に運動に身を投じた。>

 小学校では両親を亡くしたり、ケロイドを負ったりした同級生が身近にいました。原爆孤児の男の子の家に遊びに行くと、バラックに祖母と2人で暮らしていた。おばあさんがお焼きを作ってくれましたが、砂糖もなく、粉を練っただけ。残してはいけないと、必死で食べました。家族を失わなかった私は、当たり前の生活を奪われた人たちに対し、子ども心に「申し訳ない」という気持ちを抱きました。

 当時の子らの手記集「原爆の子」を何度も読み返しますが、その度に、これ以上ヒバクシャを生んではいけない、と思うのです。

イラクとクウェートの国境にまたがる地帯で劣化ウラン弾の被害実態を調査する森滝さん(左、2002年、写真家・豊田直巳さん撮影)

イラクとクウェートの国境にまたがる地帯で劣化ウラン弾の被害実態を調査する森滝さん(左、2002年、写真家・豊田直巳さん撮影)

 父の死後、がんの治療と高齢の母の世話のために退職し、「一市民として何かしなければ」と思っていた頃、インド、パキスタンの対立で核戦争の危機が高まりました。核の恐ろしさを訴えるため1997年にインドへ。その後、印パの子どもを広島に招く活動を始めました。劣化ウラン弾が使われたイラクで実態調査も行いました。

 おととし広島で開いた世界核被害者フォーラムで、参加者の一覧に、かつて広島に招いたインドのウラン鉱山周辺に住む少年の名前があった。核の実態を伝えたいと、写真家になっていたのです。驚いていると、周囲に「あなたの  いた種だよ」と言われました。本当にうれしかった。

次世代を信頼し、託していく

 <20代で結婚と出産、離婚を経験し、長くシングルマザーとして働いた。55歳で再婚した元同僚の夫が、今は公私を支える。>

 私なんかと一緒になって、本当に変わった人です。職場が同じで信頼できる人柄はわかっていたので、結婚までは早かった。息子も「なかなか見つからない宝物のような人だ」と後押ししてくれました。日々の愚痴を聞いてもらってます。馬耳東風ですが。

 活動の上ではここ数年、心境に変化がありました。以前はひとりで気負い、時には核を巡る現実を前に自分の非力を思い、絶望的になっていました。父はよく「人の精神の連鎖反応が、核の連鎖反応を超える大きな力を生み出す」という意味のことを話していましたが、「理念はわかるけれど、ヒューマニズムで現実を解決できるのか」と感じることもあったんです。

 でも、社会を動かす若い力を見て、次世代を信頼し、託していく大切さを思うようになりました。私が消えた先も、きっと同じ志の人たちが核廃絶の流れを進めていってくれる、と今は信じられる。父の言葉を実感を持って受け止められるようになった気がしているんです。(聞き手・久場俊子)

 2017年9月3日掲載(略歴は当時のもの)

 もりたき・はるこ 1939年、広島市生まれ。広島大卒業後、教職員として勤務。退職後の2001年、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」を設立。同会共同代表、世界核被害者フォーラム事務局長などを務める。

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年齢を重ねたからこそ得られる楽しみや境地がある。高齢期を迎えた各界の著名人に思う存分語ってもらいます。

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