僕、認知症です~丹野智文44歳のノート
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車と私、車と認知症(上)苦渋の決断で免許返納
2月生まれの私に、44歳の誕生日がやってきました。このコラムの題名も、今回から一つ年を取ります。
若年性アルツハイマー型認知症だと分かった2013年には、検査入院中に39歳になりました。まだ診断が固まる前の「認知症の疑いがある」という状況で、もやもやとした不安を抱えながら、ベッドの上で時間をもてあましていたのを覚えています。
あれから5回目の誕生日。こうして元気に迎えられたことが、本当にありがたいです。
苦しい時もうれしい時もあった
私は学生の頃から自動車が好きで、レースに出たこともありました。大学を卒業すると、縁あってトヨタ系列の自動車販売会社に就職し、車が人生と切り離せないものになりました。
入社して最初に配属された店舗は、宮城県南部の「仙南」と呼ばれる地域にありました。周りは山ばかりで、田んぼの間にぽつんぽつんと立つ家を営業車で一軒ずつ回るのが私の仕事です。1日に100km以上走ることも珍しくなかったのですが、お客さまにはなかなか出会えず、車はちっとも売れませんでした。
その3年後には、仙台市の中心部にあるフォルクスワーゲンの販売店に異動になりました。「まずはお客さまに自分のことを好きになってもらおう」と考えて、あれこれと理由をつけては、せっせとはがきを書き、電話をかけました。自分なりに工夫して売り上げが伸びてくると、車を売る仕事がどんどん楽しくなりました。
家族の思い出も乗せて
妻と出会ったのも、会社でした。同期入社で、一緒に新人研修を受けている間におつきあいが始まり、翌年に結婚しました。
2人の娘たちが幼稚園に通っていた頃は、会社が休みの火曜日には、「カブトムシ」の愛称で知られるビートルという車で私が迎えに行ったものです。我が家の黄色い「カブトムシ」は、周りの園児たちにも「かわいい」と大好評でした。
春、夏、冬の長い休みには、車で家族旅行にも出かけました。北海道の旭山動物園に行ったときは、仙台から函館までフェリーで渡り、道内をドライブしながら動物園に向かいました。当時、娘たちは、小学生と幼稚園児。この時の2人の楽しそうな顔を思い出すと、今でもつい、にやけてしまいます。
私の人生の歩みとともに、それぞれの時期に乗っていた車がそばにありました。
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