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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

医療・健康・介護のコラム

車と私、車と認知症(上)苦渋の決断で免許返納

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通勤でへとへとに…事故恐れて運転やめる

 認知症の診断を受けてからも、しばらくの間は車で通勤していました。しかし、前よりも緊張して運転しているせいか、会社の駐車場に着くと、どっと疲れが出て、しばらくは何も考えられなくなってしまうようになりました。

 車の運転は、常に周囲に目を配って様々な判断をし、ハンドルやアクセル、ブレーキを操作しなくてはなりません。渋滞中も気を抜くことができず、思いのほか頭を使っていたようです。

 頭がすっきりしている朝でさえそんな状態ですから、仕事の後で疲れている帰り道では、コンビニの駐車場などで何度か休憩を取らないと家までたどり着けません。それを知った社長から「事故になったらいけない。出社が遅くなっても構わないから、電車で来るように」と言われ、地下鉄とバスで通勤することになりました。

 確かに、万一、事故を起こしたら、会社や家族にも迷惑がかかります。私自身も自分の運転に限界を感じていたところに、免許の更新が近づき、免許証を返納したのです。

生活はできるけど…

 車の運転が好きでした。ボディーボードやスキー、ゴルフを楽しむ時も、いつも車で出かけていました。認知症になるまでは、自分の運転で好きな時に好きな場所に行ける生活が、ずっと続くものと思っていました。

 私の住む仙台市は、公共交通機関が発達しているので、車がなくては暮らせないというわけではありません。しかし私にとって、車の運転をあきらめるということは、人生の楽しみや喜びの一部を失うようなものなのです。自分で考えて決めたことですが、何とも言えない寂しさを感じました。

「運転したい」「運転は疲れるから嫌」どちらも本心

 今もカッコイイSUV(スポーツ用多目的車)を見かけたりすると、「こんな車でキャンプに行きたいなあ」なんて思います。でもすぐに、「運転すると疲れるんだよな」とも考えます。「運転したい」のが本心なら、「運転は疲れるから嫌だ」というのも本心なのです。

 運転をやめて、悪いことばかりでもありません。街を歩くと、車に乗っていたら気づかないようなお店を見つけるなど、小さな出会いや発見があるのです。たくさん歩くことが、心身の調子を整えるのにも役立っているのを感じます。

 車の運転をやめたのも、認知症とともに生きていく私の「人生の再構築」なのかもしれません。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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