バイオリニスト 式町水晶さん
一病息災
[バイオリニスト 式町水晶さん]脳性まひ(3)バイオリンで見返す
学校生活では、手足の障害に加えて病気が発症した。
5歳で、網膜変性症、眼球運動失調、緑内障になりやすい「視神経乳頭 陥凹 拡大」が判明。治療を続けているが、視野の下側が見えにくい状態が少しずつ悪化している。
小学校に入学、肢体不自由学級に入った。歩けたが転倒を懸念して校内では車いす生活。「他の児童が校庭を走る姿を、教室から、うらやましく眺めていた」。3年生になると、自宅から離れた盲学校に転校した。気管支ぜんそくがひどくなり、4年生で元の肢体不自由学級に戻った。
障害者という劣等感がつきまとう。「唯一の安らぎはバイオリンを弾く時」だった。
母の啓子さんは演奏を多くの人に聴いてほしいと、刑務所や医療施設などに慰問演奏会を申し込んだ。演奏がほめられると、「自分は劣っていない」と自信が深まった。
5年生から、車いすのまま通常学級に入った。6年生の時、慰問が地元新聞に取り上げられ、全校集会で表彰された。活躍を面白く思わない同級生から悪口を言われた。トイレにいる間に入り口に置いた車いすを隠されるいじめにもあい、不登校になった。
目の病状が悪化し、医師から「失明するかもしれない」と言われて、悲しい気持ちになっていた時期でもあった。
健常者をバイオリンで見返してやる。この時、12歳で初めて作ったのが、「孤独の戦士」という曲だった。
◇
バイオリニスト 式町水晶 さん(21)
【関連記事】