安田記者の「備えあれば」
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医療・介護の希望、いつ確認?
自分はどんな死に方をしたいのか――。私は、約4年前に父を見送った後、「最期のあり方」について折に触れて考えたり、本を読んだりしています。
父は2000年、65歳の時に脳
78歳で亡くなる半年ほど前、リハビリ病院から有料老人ホームへ移りました。父から希望を聞くことができなかったので、私や母が医師やケアマネジャーと相談して決めたのです。自宅で介護を受けたいと思っていたかもしれません。
有料老人ホームでは医師から、「お父様が食べられなくなったら、胃ろうをしますか?」と尋ねられました。おなかに穴を開け、管で胃に栄養を送り込む方法です。家族の間には、「一日でも長く生きられるのならば」と望む声もありましたが、私は消極的でした。胃に入れた栄養剤が口の方へ逆流し、患者が苦しむこともあると知っていたからです。
実際に選択を迫られる前に父は息を引き取りましたが、もし食べられなくなったら、家族は迷ったと思います。そして何より、父本人が胃ろうを望んだかどうか、今でもわかりません。
「家族に大事にされ、ちゃんとした老人ホームで介護を受け、幸せな最期だった」。葬儀の際、ある親戚がつぶやくと、周囲も「そうだねぇ」と相づちを打ちました。しかし、父の意思を尊重した最期だったかと考えると、後悔が胸をよぎります。元気だった頃に、人生の最終局面の介護や医療について希望を聞いておけばよかった、と。
しかし、父が「元気だった頃」とは、初めて倒れた65歳より前。まだ仕事もしていたので、母も私も弟も、最期のことなど考えもしませんでした。
最期の介護や医療の希望を知りたくても、病が重くて聞けない……。私の父のようなケースは、けっして珍しくないのです。(社会保障部 安田武晴)
このコラムでは、父親を見送った記者(48)が、最期に備えるための情報をお伝えしています。
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