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【群大病院手術死】母の悲嘆 投函できなかった手紙

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 高梨ゆき子 医療部

この春、私は最愛の娘を病で亡くしました。

【群大病院手術死】母の悲嘆 投函できなかった手紙

 こんな一文から始まる手紙を、私は何度読み返したか知れません。群馬大学病院で相次いだ手術死の取材を始めてから1年ほどたった2015年、遺族の一人で、後に遺族会代表となる岡田健也さん(仮名)が、母の遺品から見つけて私に託してくれたものでした。彼は妹の麻彩さん(仮名)を2008年3月に亡くし、その後、わずか5年の間に父と母も病気で失いました。麻彩さんのことはこれまでも記事にしていますし( 「奈落の底に幾度、落とされたら…」群大病院手術死、家族 慟哭どうこく の手記 )、8月に出した拙著「大学病院の奈落」(講談社)でも詳しく書いていますが、手術死続発で問題になった第二外科で 膵臓すいぞう の開腹手術を受け、手術の41日後に亡くなっています。彼女は当時20代半ばで、群馬大学病院に看護師として勤めていました。

「恩を仇で返す行為かも知れないと思いつつ」「無知を良い事に全て蔑にされた思い」

 手紙は、麻彩さんの死から間もなく書かれたものです。手紙といっても、便箋というより横書きの原稿用紙のようなものが使われています。下書き、といったほうがいいかもしれません。手紙は以下のように続きます。

  しかしたら、恩を あだ で返す行為かも知れないと思いつつ、我身の無知を大変恥じております。暮の入院以来、検査、痛みとの闘い、受付の対応、医師とのムンテラ(注:診療に関する説明)、迅速な判断と施術が必要と思えるのにどうして後手後手になるのか。手術中の迅速診断後、15時間に及ぶ大手術。トイレに行く事も 躊躇ちゅうちょ する家族の思いとは裏腹に連絡無し。術後全て良い方向の話だけで取った臓器を見せて もら う事もなく、他の家族にはあった術後の写真もなく、2週間後、進行性の膵臓癌らしいと言われても納得出来ませんでした。無知を良い事に全て ないがしろ にされた思いです。手術後1ヶ月余りのICUでの治療、亡くなる1週間前の転棟。 瀕死ひんし の状態の患者がいる病室での作業中、笑い声を聞いた家族の怒り心頭に発する思い。娘の勤務先でもあり、治るという思いがあればこそ、幾度となく言葉を飲み込んだ事か。

 家族は、麻彩さんの受けた手術や、その前後の診療に「何か問題があったのではないか」と疑いを持っていました。どこかしかるべき相手に、その問題を訴えたい思いに駆られて書いたのです。同時に、そういう行動にためらいの気持ちも持っていました。

 「恩を仇で返す行為かも知れない」

 そんなふうに思ったのは、病院が本人の勤務先であり、あたたかい上司や仲間に囲まれ、お世話になった愛着ある職場に対して、感謝の思いもあったからです。この言葉には、こんな手紙を書いていいのか、と葛藤する心情が表れています。それでも、愛娘の入院から死までに経験した出来事が、抗議の手紙を書かずにいられないところまで彼女を追いつめました。手紙は次のように続き、締めくくられます。

「真摯な姿勢と崇高な思いが無ければ『医は仁術』も無に等しくなってしまう」

死亡時の診断書と3週間後の診断書の違い。こんな事あるものなのでしょうか。真実が知りたい。最先端の医療を施術する大学病院の対応に り切れない思いと 何故なぜ 、一呼吸置いて返答しなかったのか、娘の ため に選択肢は無かったのかと つら く、悲しく、悔しく 地団駄じたんだ を踏む思いです。高度な機器を作るのも人、使うのも人、そこに 真摯しんし な姿勢と崇高な思いが無ければ「医は仁術」も無に等しくなってしまう事を忘れないで頂きたい。医師の一言で救われる人、絶望の ふち に落とされる人、言葉にはそれだけの重みがあると思います。素晴らしい同僚に恵まれ、娘は幸せだったと思える反面、3ヶ月後重症患者も転院させる現代の医療、後期高齢者医療制度、弱者切り捨ての世の中、このモヤモヤした遣り切れない思いを胸に抱えたまま、 何処どこ か間違っていると思うのは私だけでしょうか。

 麻彩さんは、膵臓がんかどうかはっきり診断がつかないうちに手術を受けることになります。手術は難航して長時間にわたり、大量に出血。結局、腫瘍は取りきれず、血管もうまくつながれないまま手術は終わりました。術後は重い合併症に苦しみ、家族とろくに会話もできませんでした。手術から2週間くらい後に、ようやく膵臓がんと診断されたようですが、家族には、経過は十分説明されなかったそうです。

遣り切れない思いを胸に抱えたまま…母は帰らぬ人に

 「母は、ほかにも同様の手紙をいくつも書いていた」と健也さんは言っていました。しかし、それらはどれも、とうとう投函されることはありませんでした。無念の思いを抱えたまま、母もまた、2013年に帰らぬ人となったのです。

 2015~16年にかけて、第三者の調査委員会から委託を受けて日本外科学会が行った調査では、麻彩さんの手術はそもそも無理があったことが示唆されました。家族には、そもそも深刻な病状であることが正しく説明されていなかったといい、ただ一人、残された健也さんは、悔しい気持ちをいまも抱え続けています。

 「手術が無理なら、そう説明してほしかった。適切な説明があれば、家族でどうすべきか考えたり、貴重な時間を大切に、好きなことをして過ごしたりすることができたのに」

 群馬大学病院はいま、熱心に改革に取り組んでいるそうです。このことを、麻彩さんのお母さんに見せてあげたかった……私はそう思っています。この家族の体験を知り、このようなことがまた起こることのないように、群馬大学病院だけでなく、それ以外の医療に携わる方々、そして、患者やその家族となりうるすべての人が、力を携えることができる世の中にしていけたらと思います。

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【略歴】

高梨 ゆき子(たかなし・ゆきこ)

読売新聞医療部記者。

社会部で遊軍・調査報道班などを経て厚生労働省キャップを務めた後、医療部に移り、医療政策や医療安全、医薬品、がん治療、臓器移植などの取材を続ける。群馬大病院の腹腔鏡手術をめぐる一連のスクープにより、2015年度新聞協会賞を受賞。著書に「大学病院の奈落」(講談社)がある。

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