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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

『あっ』『明るい』…失われた視覚に差し込んだ「光」

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親友夫婦が訪ねてきた翌日…脳の潜在能力への希望

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 それから約1年後、私への受診を仲介した看護師から、「中島さんは随分回復しているらしく、ものを見る反応も出てきました」と知らされました。

 ご家族に問い合わせてみたところ、「(中島さんは)障害教育の専門家から筆談法を学び、トレーニングを続けたところ、介助を受けながら名前などを書けるようになった」というのです。

 さらに、中島さんの高校以来の親友夫婦が訪ねてきて、半日一緒に過ごした翌日から、視覚に変化が現れたそうです。

 「基樹が驚きの表情で、『あっ』というような声を発したので、どうしたのかと聞いたところ、『明るい』と答えました」。――中島さんのお父さんはその時のことを、感激を込めて説明してくれました。

 中島さんはその後も、ありとあらゆる施術を試みて、聴覚や視覚からの情報の入力量を次第に増やしていきました。今では、自分の意思や心象を伝える手段として、介助を受けながらも、文字やペン画も描くようになったとのことです。

 地元で個展を開いたり、「いいことカレンダー」を作ったりするなど、彼の脳は信号のやりとりを確かに始めました。

 中島さんのような回復は、誰にでも見られるわけではないでしょう。しかし、条件がそろえば、人間の脳は驚異的な潜在能力や回復能力を秘めているのです。この事例は、新春にふさわしい、希望のある話題だと思い、読者の皆様にお届けしました。(若倉雅登 井上眼科病院名誉院長)

〈「いいことカレンダー2018」の問い合わせは、Email: tryecoto415@gmail.com 中島依子さんまで〉

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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