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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

将棋、囲碁のように…AIは人間の「診断力」を超える?

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将棋、囲碁のように…AIは人間の「診断力」を超える?

将棋ソフトの指し手を盤上で再現するロボットと対戦する杉本昌隆七段(2017年8月、名古屋市で)。医療分野の学会でも、人工知能(AI)が人間の診断力を超えていくだろうという話が出る時代となっている。

 人工知能(AI)が、将棋でも囲碁でも人間を凌駕する時代です。去る10月の日本臨床眼科学会でも、近い将来AIが人間の診断力を超えていくだろうといった話題が出ていました。どの診療科でも同じでしょう。

 しかし、はたと、私は立ち止まりました。

「痛み」「眩しさ」…数値化できない症状

 AIが利用しているのは、すでに知られている実証済みのデータです。実証できるデータというのは、数値化できるものに限られます。

 眼科では視力、視野、眼圧、画像解析など数値化ができる臨床の検査データは多くあります。

 AIは世界中のそうしたデータをくまなく検索して解析し、病名を突き止めるだけでなく、治療方針まで示すことができる能力を持つでしょう。

 治療成績は、これらを統計処理すれば、立派な科学的データになります。

 ただ、注意したいのは、あくまで数値化できるデータを利用した場合のことだということです。例えば、数値化されない「痛み」「 (まぶ) しさ」「ぼやけ」「不快感」「苦痛」「疲労」といったものについては、AIはそのままではデータとして利用できません。痛みの性質や強さ、痛みを感じている時間などはなかなか数値化できません。個人差も大きいのです。

 まして、典型的ではない病状、全身あちこちの複合的な症状、さらには人間がまだ知らない、名前のつけられない病気を前に、AIがどう振る舞うかわかりません。現代医学でも、なぜその症状が出ているのか、原因のわからない病気はたくさんあります。

「数値化できる」「見える指標」…データに偏り

 今日の臨床医学は、「エビデンス・べイスド・メディシン(実証主義に基づく医学)」を最も重視し、医学教育はそれを教えます。

 しかし、臨床現場の経験を積めば積むほどに、実証されているデータの乏しさと、偏りを感じずにはいられません。

 近代医学は、学問としてはせいぜい150年という短い歴史しかありません。いま日本の隅々まで普及しているレントゲンや心電図が臨床で使われ始めて、まだ100年前後であり、抗生物質に至っては80年にもなりません。数学や物理のような1000年以上の歴史を持つ成熟した学問とは大違いです。データが乏しい、つまり未知のことが多いのは当然です。

 加えて、医学者たちは数値化できるデータばかりを重要視してきました。そうでないと、研究にならないし、研究論文ができなければ学者としては成り立ちません。だから、今日の医学もまた、「数値化できる」、つまり「見える指標」を重視しています。

 私はそこに偏りを感じてしまうのです。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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