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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

コラム

全国初、認知症の当事者が開く相談窓口

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同じ立場だからこそ…全国初、認知症の当事者が開く相談窓口

おれんじドア実行委員会の打ち合わせ。一番手前が私、向かって左から2人目が井上博文さんです

「力になりたい」京都旅行で高まる意欲

 京都への旅行では、仙台に戻る時も、精神科医の山崎英樹先生が選んだおいしいお弁当を買って、新幹線に乗り込みました。

 私の席の近くには、山崎先生と東北福祉大の高橋誠一先生、仙台で介護事業に携わる井上博文さんがいました。皆、宮城県で認知症に熱心に取り組んできた人たちです。

 認知症ケアの先進地といわれる京都を訪れて現地の当事者と交流したことで、「認知症の人の力になりたい」という気持ちが私の中で高まっていました。周りの人たちにとっては、3日間、私と一緒に過ごして私の話を聞く機会にもなり、感じたことがあったようです。お弁当を食べながら、「丹野さんと一緒に何かやりたいね」と、話が盛り上がりました。

「どうして元気になったの?」

 その場では具体的に何をするかは決まらず、その後も話し合いを重ねました。その中で、ある出来事がきっかけになって、私の気持ちが固まっていきました。

 会議の帰りに、山崎先生が車で自宅まで送ってくれた時のことです。ハンドルを握る山崎先生に「丹野さんは、どうしてこんなに元気になったの?」と聞かれたのです。

 改めて考えてみました。診断直後は絶望の底に沈んでいた私が、笑顔を取り戻すことができたのは、なぜなんだろう――。

 大学病院を退院してすぐに訪ねた区役所で「40歳未満の人は、介護保険が使えないので何も支援はありません」と言われて途方に暮れ、近くの「認知症の人と家族の会」の事務所に行きました。そのおかげで、互いに理解し合える認知症の当事者や家族と出会うことができたのです。さらに、認知症になっても人に優しく力強く生きる広島の竹内裕さんの姿に、「なぜ、私の方が若いのにこんなに落ち込んでいるのだろう」と思い、「自分も竹内さんのようになりたい」という目標ができました。

「自分より先に絶望を乗り越えた認知症の当事者たちに出会って話をしたら、不安が和らいで、元気が出たんです」。そう答えると、山崎先生は、「それなら、今度は丹野さんがそのことを他の当事者に伝えてみない?」と言いました。

認知症だからこそできること

 これまで、私が認知症だとわかると、「物忘れなら、俺もよくあるよ」「こんなに元気なんだから大丈夫。あまり心配しない方がいいよ」なんて言う人もいました。私を励まそうとして出た言葉だったのでしょうが、そんなふうに言われると「認知症になったこともないのに」と、反発を覚えていました。

 ところが、同じような「大丈夫」「頑張れ」という言葉でも、認知症の人から言われると、すんなりと受け入れることができたのです。

 認知症の私が、不安の中にいる認知症の人と出会って話をして、元気になってもらうための相談窓口をつくる。皆との話し合いの中で出た様々なアイデアの中でも、一番シンプルなこの提案が、私がやりたいことに一番近いように思えました。

最初の一歩を…「おれんじドア」オープン

 認知症の当事者が相談を受ける側になるのは、全国でも初めての試みです。実行に移すには、私一人だけではなく皆さんの力が必要です。「宮城の認知症ケアを考える会」(現・宮城の認知症をともに考える会)の世話人会で、「私が認知症の人と話をして、元気をあげる取り組みを始めたいと思っています。一緒にやりませんか」と、実行委員を募りました。同会には、医療・介護関係者や弁護士、「家族の会」の人など、認知症に関わる様々な分野の人が集まっており、その中から10人ほどが手を挙げてくれました。

 資金はどうする? 場所はどこにする? どのようにして当事者を集める? 最初は、皆で悩みましたが、「とりあえずやってみよう。一人も来ない時があってもいいよ」といって、スタートすることになりました。

 会場は、JR東北福祉大前駅に隣接する同大ステーションキャンパスのカフェを借りられることになり、原則、毎月第4土曜日の午後2~4時に開くことが決まりました。

 名称は「おれんじドア」です。認知症のシンボルカラーの「オレンジ」を入れて、不安を持っている認知症の人に、最初の一歩を踏み出してもらうためのドアになれるようにという思いを込めました。

 京都旅行から約10か月後の2015年5月23日、初めての「おれんじドア」が開かれました。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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