精神科医・内田直樹の往診カルテ
医療・健康・介護のコラム
生活の場で「健やかさ」に出会える在宅医療
診察室での外来とは比べものならない情報の質と量
認知症が進むと、「自分が病気である」という感覚をなくしてしまう人がいます。そんな人に通院を勧めても「自分は何ともない」と拒否するだけですが、不思議なことに、自宅での訪問診察ならほとんどの場合、受けてくれます。
Aさんも、当初は「医者が何しに来た。自分は何ともない!」と硬い表情で私に言い放ちました。そこで、「Aさんが自宅で安心して過ごせるように、お手伝いをしに来たんですよ」と言うと、「そうか。よく来てくれた」と相好を崩し、歓迎してくれました。
自分は病気であるとの意識が認知症によって失われても、「どこか本調子ではない」との感覚(私たちは「病感」と呼んでいます)は、ほとんどの人が持ち続けます。その潜在的な感覚を呼び起こす言葉をかけ続けると、患者さんに残っている健康的な面が刺激され、診察の継続につながるのです。
Aさんは、かつては非常に腕のいい理容師で、ひっきりなしにお客さんが来たそうです。しかし、55歳の時に脳梗塞になり、右手足の麻痺で仕事をやめざるを得ませんでした。
私がその話題を持ち出すと、「いいものを見せてやろう」と右足を引きずりながら隣の部屋に案内してくれました。そこには、理容師の技量を評価する賞状が何枚も額に入れられて飾ってありました。Aさんは、生き生きした様子で「これは、いついつもらったもの……」と説明してくれました。
病院の診察室だと、患者さんは緊張して、話題は病気のことばかりになってしまいます。一方、自宅に出向くと、非常にくつろいだ本人の様子だけでなく、その人の半生にまつわるさまざまな物にまで出会えます。外来の診察室とは比べものにならない質と量の情報があるのです。
加齢と認知症の進行で、今までできていたことができなくなっていくのは、大きな喪失体験を繰り返していることと同じです。それだけに、心身ともに充実していた頃の話を適切なタイミングで聞くことは、問診のプロセスであるとともに患者さんの中に残っている健康的な部分を強化するものだと思っています。
さて、Aさんですが、これまでの経緯と診察時の様子から、私は前頭側頭型認知症だと診断しました。
聞き慣れないかもしれませんが、アルツハイマー型、血管性、レビー小体型と並ぶ4大認知症の一つで、比較的、若年の方に多く見られます。抑制が利かなくなって、本能のおもむくままに行動します。食事や嗜好が変化したり、自発性が低下したり、同じ行動を繰り返したりする――などというのも特徴です。Aさんにも、怒りっぽくなったり、万引きをしたりといった症状のほか、飲酒量の増加などがありました。
この診察を契機に、介護保険の申請をして、Aさんには要介護3の認定が下りました。デイサービスに定期的に通うようになり、奥さんとの衝突も随分減ったそうです。その後、脳梗塞を再発し、心不全で入院もしましたが、やはり退院後の外来通院は嫌がったため、現在も訪問診療を受けています。
このAさんとの出会いをきっかけに、訪問診療でできる「精神科医の役割」について、じっくり考えるようになりました。(内田直樹 精神科医)
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親からみれば、子は何歳になっても子なので困ったものです。先生のような方が増えてくだされば自宅で介護も考えます。認知症を発症した伯父や伯母の時はその家族全体が疲弊して介護する側が病院通いをするしまつでした。いま私の両親もいろいろ考えてはいるものの解決策がなく困っていたところ、この記事を読んで少しは将来のことを明るく考えられたので助かりました。
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