いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
脳に重い先天奇形がある男の子 神様と共に生きる
義母は「流産を祈っていた」
母親はこれまでに嫌なことも経験しました。義母には「流産するように祈っていた」と、賛君が生まれた後に言われたこともあります。自分の父も、あまり家に寄りつかなくなりました。医療スタッフも、妊娠中の賛君の成長を喜んでくれるような言葉を、ほとんどかけてくれませんでした。
しかし母親は、否定的な思いを賛君に対して抱いたことは、一度だってありません。賛君が生まれた時、産声はなく、すぐに挿管の処置を受けましたが、息子が生きているだけで感激の涙を流しました。父親も同じです。賛君の状態が落ち着くと、満面の笑みで賛君を抱き、一緒に写真に納まったのでした。
すべてあるがままに
妊娠中は、死産になる可能性も考えていたそうです。夫婦は牧師に葬儀を依頼し、 棺 に入れるときの小さなベビードレスを縫い、赤ちゃんの誕生死に関する本を読んでいたのです。賛君の命は生まれる前から死に脅かされていたと言えます。その恐怖を乗り越えることができたのは、「祈りしかない」と母親は言います。
そして、ちょっと変わった顔貌のわが子を受け入れること、重い障害を受け入れることがどうして可能だったのか、こう述べます。
「私たち夫婦は芸術を 生業 にしているので、美醜については普通と少し違う感覚を持っているかもしれません。賛の顔の中で鼻が特に 可愛 く思うほどです」
母親が続けます。
「重い障害を持った子を受け入れるもなにも、自分の子を殺したい親はいないと思います。すべてあるがままに自然に生かされているだけです。私たちが胎児の命を絶つ権利など持っていません。中絶は選択肢ではありません。障害児が生まれることは、誰にでも起こることです。神様の何かのご計画かな?と思っただけですんなりと受け止めました」
生きている喜び 幸福な毎日
賛君には、恐ろしい病名がたくさん付いています。しかし母親はそれらを、単なる賛君の取扱説明書くらいにしか思わないそうです。つまり、本質ではないということです。何よりも大事なことは、賛君が生きているということ。そして、そのことに喜びを両親は感じるのです。現在は小児科の先生も賛君の成長を喜んでくれています。この家族は神様と共に幸福な毎日を作り続けている――私にはそう思えました。(松永正訓 小児外科医)
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この子は親の為だけに産まれてただ存在しているのでしょう。
生かされているのは親のほう。
この子が幸せかどうかは...誰にもわからない。
親が自分でそういう選択をしたのならそれで良いです。
他人がどうこういうことではない。
ただ私ならば....とは思ってしまう。
これは子供にとっては苦しみではないのかと....。
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医療や福祉に生かされること自体を自然じゃないと考える人が多いみたいだけど、そうだろうか。世の中に強い人と弱い人の両方が存在するのは、強い人が弱い人を助けるためだと思うのだけど。自分の目や耳や手や足は、体が不自由な人の代わりになるために神様が付けてくれたものだと、子供の頃から聞いて育った。
自分が弱い時は強い人の世話になるし、強い時は弱い人を助けたい。
失業した時は雇用保険のおかげで命をつないだし、今は裕福になったから、いろんなところに寄付もするし税金もいっぱい払う。人はいつでもそのどちらかを行ったり来たりで、表裏一体の存在で、助けられることも助けることも、人間としてごく自然なことなんじゃないのかな。
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