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時を重ねる

コラム

本場の味日本に根付かせ パン職人 フィリップ・ビゴさん

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  <来日から半世紀。日本でなじみの薄かったフランスパンのおいしさを伝えるために力を注ぎ、育てた弟子は150人を超える。現在は、兵庫県を中心に12店舗ある「ビゴの店」の経営の傍ら、各地の調理師学校で講師を務め、多忙な日々を過ごす。>

本場の味日本に根付かせ パン職人 フィリップ・ビゴさん

ビゴさんにとってパンは子どものような存在。「窯から出てきたばかりパンはパリパリ、パリパリってかわいい声で歌ってくれる」と話す(兵庫県芦屋市で)=里見研撮影

 最近、工房に入ることは少なくなったね。工房はパンが乾燥しないように夏でもエアコンはつけないから、1時間もいたら服がびしょびしょになる。毎日続けるのは体力的に難しくなっているね。それでも、ほぼ毎日何か用事がある。のんびりしたい気持ちもあるけど、ぐずぐず言いながらやってる。

 良い先生かどうかは分からんけど、教えるのは好き。従業員には「きちんとあいさつしなさい」「掃除をしなさい」って煙たがられるくらい言ってる。「お客さんは味だけでなく、接客も掃除も全部見てる。商売とはそういうもん」って。学校で教える時も生徒の成形を「そうじゃない」って一生懸命教えすぎて、いつも時間ぎりぎりになる。

 独立した元従業員の店を見に行くこともある。この前も金沢に行ってきた。良いもん作って、よく売れてるとほっとしますなぁ。

  <来日のきっかけは、1965年の東京国際見本市。「フランスパンの神様」と呼ばれた製パン学校の恩師レイモン・カルベル氏に推薦され、フランスパンの作り方を実演した。その後、神戸市の製パン業者「ドンク」の社長に請われ、パン職人の指導にあたった。>

 当時、日本でパンと言えば食パンみたいな柔らかいパン。初めてフランスパンを食べる人も多くて、皮が固いから「口が切れる」という人もいたけど、1か月の期間中にぼちぼち人気が出てきた。見本市が終わった後に神戸のイベントに行った時には、歯が2、3本しかないおばあさんが「おいしいから、歯がなくなっても食べたい」と言ってくれたんが、うれしかった。

 でも、本当のこと言うと日本に来るのが怖かった。日本語も分からんし、フランスとはパンを作る粉も気候も違う。でも結局、「頑張れば何とかなる」と日本にとどまることを決めた。22歳。若かったね。

焼きたてのにおい 僕の「ささやかな幸せ」

  <72年に開いた「ビゴの店」は一時、パリにも出店。しかし、阪神大震災で店舗の多くが被災するなど、厳しい体験もした。>

 震災では家族も従業員もみんな無事やったけど、周りではたくさんの人が亡くなった。いろんな人に助けられ、友達が遠くから寒い中、単車で食べ物を届けてくれたのは、今思い出しても泣けてくる。

 近所の人に井戸水を分けてもらったおかげで、シロップまみれの本店の床を掃除できた。生きているなら何かしなきゃと、3、4日目には被害が少なかった店で営業を始め、半値近くで販売した。調理せずにそのまま食べられるから、感謝されたね。

 お客さんあっての商売なんだから、自分だけ得するんじゃなくて、みんな一緒に良くならないとダメだと改めて感じた。

  <日本人の妻との間にもうけた2人の息子はともにパンの道に進み、長男は店を支えてくれている。引退を考えることはないか。>

 この前、80歳代で元気に働いている人を取り上げたテレビ番組があってね。ハードな仕事なのに幸せそうな顔をしているのを見て、僕も頑張らないと、と反省した。日本にはこういうお年寄りがたくさんいるから、すごい。

 昔は「フランスに帰る。日本に行く」だったのが、いつの間にか逆転し、最近はフランスに行くとすぐに「もう日本に帰りたい」と思う。

 若い頃は出張であちこち行ったり、お酒を飲んで騒いだり、楽しみがたくさんあった。年をとると楽しいと思うことが少なくなるけど、代わりに「ささやかな幸せ」というのが分かってきた気がする。

 僕にとっては、やっぱり焼きたてのパンのにおいを嗅ぐ瞬間。上手に発酵して、上手に焼けたら、甘酸っぱい、いい香りがする。死にそうな時に嗅いだら、また2時間くらい生きられるかわからんね。ほな、まだまだパンを作り続けないとあきまへんなぁ。(聞き手・藤本綾子)

2017年12月3日掲載(略歴は当時のもの)

*「時を重ねる」は今回で終了します。 

 1942年、フランス生まれ。国立製菓製パン学校卒業後、65年に来日。72年、兵庫県芦屋市で「ビゴの店」を開業した。2003年には日本でのフランス食文化普及に尽力した功績が評価され、同国の最高勲章「レジオン・ドヌール勲章」を受章。今年度、日本の「現代の名工」にも選ばれた。

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時を重ねる
年齢を重ねたからこそ得られる楽しみや境地がある。高齢期を迎えた各界の著名人に思う存分語ってもらいます。

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