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【群大病院手術死】 遺族会代表が初めて実名で訴え 「同じ過ち 繰り返さないで!」

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言葉も交わせないままの別れ

――手術後はどのような様子でしたか。

 木村:私自身は実際にその場面を見ていないのですが、父は暴れて点滴の針を抜いてしまうそうで、鎮静剤を投与されていました。それでずっと半分眠ったような状態が続きました。途中から人工呼吸器を使っていて気管切開もしていました。会社の帰りに毎日見舞って様子を見ていましたが、結局、会話もできないまま亡くなりました。父と会話したのは、手術室に見送ったときが最後になりました。「おやじ、頑張ってね。元気になって帰ってきてよ。待ってるから」「じゃあ、行ってくる」という短い会話です。手術が終わって麻酔が覚めれば普通にしゃべれると思っていたので。口に出すことはなかったけど、父は不安そうな様子でした。

――ゆっくりお話しすることもないままお別れというのはつらいですね。

 木村:寂しかったですね。最後のほうは見ていてつらい状態でした。父はあちこちに不調が起き、肺炎を起こしたり、おなかの中で出血したりして、その度に処置を受けるんですけど、こんな状態で生きていられるものなのかというくらいひどい状況でした。でも、手術に問題があったとは全く聞いていなくて、体力的にもたなくて回復できなかったというような話でした。

信じて父の命を預けたのに

――実は、手術をはじめ診療に様々な問題があったということが後になって判明した形です。

 木村:信じていたのに、裏切られたというか、「何をしてくれたんだ!」という思いです。せっかく先生を信じて父の命を預けたのに。手術が医学的に難しい、できない、ということであれば、そう説明してくれればどうしようかと話し合うこともできた。あるいは、「うちではできない」ということなら、東京の病院にお願いする方法もあったかもしれない。あくまで、全然問題なくできる手術だという認識だった。父だって、身の回りの整理をしたり、家族に大事なことを言い残したり、したいことがあったと思います。

――お母さんは高齢で、施設に入られているとか。

 木村:母は足が不自由で、車いすを使っています。父が世話をしていたのですが、入院している間は自宅で母が一人になってしまうので、入院する間だけ預かってもらうつもりで入ったんです。体調の悪い母は結局、父を病院に見舞うことはできないままでした。入院前、父に送られて施設に入ったときが最後になりました。父の遺体に対面したときは、それまで気丈だった母も、さすがに泣き崩れました。

――お父さんはどんな方だったんですか。

 木村:物静かで、温和で、口数の少ない人でした。父が怒っているのを見た記憶はほとんどありません。おおらかに見守ってくれるような、やさしい父でした。前橋のガラス工場で定年まで勤めましたが、その後、母が体調を崩して足腰が悪くなってから、父が身の回りの世話をしていました。入院する数か月前、母のために段差のない家に引っ越したばかりでした。穏やかでのんびり屋の母とは似た者夫婦といった感じでした。

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