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原記者の「医療・福祉のツボ」

医療・健康・介護のコラム

「地域共生社会」を考える(上) 公的責任を後退させるな

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住民にできること、できないこと

 さて、地域住民に何ができるでしょうか。住民といっても近所の人、町内会・自治会、自主的グループ、NPOなど幅は広いのですが、支え合いとして主に期待されるのは、困りごとを抱えた人の発見、異変が起きていないかどうかの見守り、人とのつながりづくり、居場所づくり、健康づくりなどでしょう。子ども食堂や学習支援、高齢者の就労の場づくり、農業との連携などもありえます。実際には、障害者支援、ホームレス支援、女性支援、外国人支援など、行政が言い出す前から自主的に行われてきた市民活動もたくさんあります。

 一方で、医療の提供は医療機関、本格的な介護サービス・障害福祉サービスは専門の事業者でないと、できません。家事援助や子どもの預かりも、長期にわたって純粋なボランティアで続けるのは容易ではありません。まして、お金が足りなくて困っている人への経済的給付は無理でしょう。行政の責任または公的制度によるサービスでやらないといけないことが多いのです。住民主体で何でもできるように思うとしたら、それは幻想です。

 プライバシーの問題もあります。病気、障害、貧困、借金、虐待、刑事事件といった問題を抱えている人は、他人に話せないことがしばしばあります。とりわけ、近隣住民には知られたくないことが多いのです。やはり、守秘義務を負う専門職か公務員が支援にあたる必要が出てきます。

生活基盤を支えるのは行政の責務

 大きく分けると、生活基盤を支える所得保障、医療、介護、障害者福祉、教育、保育などは基本的に国や自治体の責任でしっかり行うべきもので、そこが不十分だと問題は解決しません。地域住民ができるのは、もっぱら人的かかわりを中心としたソフト面であり、いわば補足的な役割です。税金で行う「公助」と社会保険による「共助」だけでできない部分を住民同士の「互助」で補うのであって、逆ではありません。

 そう位置づけたとき、少なくとも、行政の責任を縮小させる目的で地域福祉が使われてはならないはずです。財政難を理由に社会保障費を抑える政策が打ち出されているだけに、都合よく肩代わりさせる手段に利用されないか、気になるところです。

 生活基盤を支える重要な柱となることのある生活保護制度について、地域共生の政策でほとんど言及がなく、切り離されているのも、おかしなことです。貧困状態にある人を住民が見つけたり、専門職が相談を受ける過程で経済的困窮に気づいたりして、生活保護が必要な場合にその利用につなげることは、生活支援の一環として欠かせません。

 まずは、行政責任による給付と公的制度によるサービスをきちんと確保する。それだけでは不十分な人的かかわりを中心に、福祉を充実させる「上乗せ」の取り組みとして総合的な相談支援体制や住民による活動を推進する。それには費用もかかる。そのように考え方を整理すべきだと思います。

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原昌平20140903_300

原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保障を中心に取材。精神保健福祉士。社会福祉学修士。大阪府立大学大学院客員研究員。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

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