子どもの健康を考える「子なび」
医療・健康・介護のコラム
発達障害(12)困った行動本人目線で捉えて
発達障害では、精神科医で信州大付属病院子どものこころ診療部長の本田秀夫さんに聞きます。(聞き手・松本航介)
発達障害で困ることというと、どんなことを思い浮かべますか。乳幼児期ですと、対人関係が希薄。こだわりが強い。集団参加がうまくできない。大人の指示を聞かない。そういう「困った行動がある」というイメージが浮かぶと思います。
これらの困った行動は、どれも、大人側から見ての困った行動です。つまり、「この子は、こんな困った行動をするんです」と、大人たちが感じている行動です。
小学校に入った後もしばらくは同様です。集団行動が苦手。空気を読まない。授業に集中しない。小学校の前半ぐらいまでは、大人側から見て「困ったことだ」と感じる行動が多いのです。
ところが、思春期以降になると、発達障害で困ることの内容が変わってきます。自己肯定感が低い、うつ、不安などの二次障害が生じてきます。このため、どちらかというと困りごとの内容が本人の内面の問題になってきます。
大人から見て困った行動があるという相談が中心になるのは、小さい頃の10年間ほど。大人が困ることにだけ対応して、本人の気持ちを考えずにいると、本人が悩んで苦しむ期間がその後60年、70年と続くことになるのです。
発達障害は、子どもの頃に見つかるため、どうしても大人の視点で「あの子はこんな困ったことをする」という点に目が行きがちです。でも、一生を通じて考えると、本当に困るのは本人なのです。ここが発達障害の一番重要なところです。
大人から見て困った行動を取っているという視点だけでなく、本当は本人が困っているからこういう行動をしているのかもしれないと、視点を逆転させてみる必要もあるのです。
【略歴】
本田秀夫(ほんだ・ひでお)
1964年、大阪府豊中市生まれ。精神科医。信州大医学部付属病院子どものこころ診療部部長・診療教授。日本自閉症協会理事。著書に「自閉症スペクトラム」など。
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うつとPTSDとイレギュラーな行動の論理
寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受
医療漫画で、地震後の被災者の子供が、「地震ごっこ」で遊び、DMATの医療者がそれに同調するシーンがありました。 常識的ではなくても、子供たちなり...
医療漫画で、地震後の被災者の子供が、「地震ごっこ」で遊び、DMATの医療者がそれに同調するシーンがありました。
常識的ではなくても、子供たちなりのストレスのやり過ごし方をどう受け止めてやるか?
発達障害と捉えられる可能性のある、うつやPTSDに関しても、マニュアル通りのやり方とそうでないやり方のどちらが正しいかの判断は難しいと思います。
(プロ以外はうかつに自己判断でやらない方が無難です。)
自分自身、阪神大震災を経験しているので分かります。
もっと家族や住居にダメージを受けた人がいるのを理解できても、自分自身もまた目に見えない傷を負っています。
ライフラインが復旧しても、それまで見ていた風景が消し去られるのですから。
悲しい出来事に対して、悲しいという反応も正しいけれども、不謹慎と思われてさえ、ジョークにして、心のダメージを減らすこともどこか正しいのだというのを。
大きなダメージは状況が許せば、時間をかけて消化していくほうが正しいのです。
世の中では相手や世間を変えるよりも、自分の考えや行動を変える方が簡単ですから。
それは、普通の子供や大人としては正しくはないのかもしれません。
でも、自分や相手の気持ちを何とかしたいがために、わざとイレギュラーな反応をする人間がいることもわかってほしいとは思いますし、許されるべきだと思います。
このような複雑な話の理解には多大な勉強も意欲もいると思います。
一方で、理解できない人がいるのだという単純な回答が、多くの悩む子供や大人にとって救いとなることも忘れてはいけません。
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「困った」判断の主体をどう考えるか?
寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受
ご指摘の通り、判断の主体というのは重要だと思います。 老人にしても、子供にしても、扱う側と扱われる側の問題があり、短期的な問題と中長期的な問題が...
ご指摘の通り、判断の主体というのは重要だと思います。
老人にしても、子供にしても、扱う側と扱われる側の問題があり、短期的な問題と中長期的な問題が相関する場合と逆相関する場合があります。
困った行動をする主体の子供の判断として、なにも判断しない場合、困らせようとする意図がある場合、構って欲しいため困らせる意図がある場合の判別は重要なのではないでしょうか?
手のかかる子ほどかわいいと言いますが、心理や行動の共依存や個性の問題も抜きにして考えることはできないでしょう。
独自性と一般性や規律のさじ加減は大人でも難しいものです。
教育においては、求められるゴールの設定によっても変わってくるでしょう。
扱いにくくても個性はある程度許容されるべきですが、どういう個性が望ましいのでしょうか?
その子供の困った個性が大成しないと断言できる大人はそんなに多くないと思います。
歴史を動かすような天才は特異な家庭環境や習慣などが知られています。
また、常識は時代や地域によっても変わることは知られています。
その困った行動や自閉症傾向ととられかねない行動が遺伝的なものではなく、後天的な場合、完全矯正とまではいかなくても、コントロールはしやすいのではないかと思います。
依存症をやめさせるには、他の行動や嗜好品に依存を分散させる手法がありますが、同じように、原因を整理したうえでのアプローチは有効と思います。
角度を変えてみれば、「困った行動」依存なのですから。
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