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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

コラム

絶望、不安、出会い…講演で妻の目に涙

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地元の県庁で体験を語る

初めての講演 妻の目に涙

「うまくしゃべる必要はない。自分の体験や思いをありのままに語ればいいんだ」と思ったら、壇上でも楽に話せるようになりました(2017年8月、仙台で開かれた自著の出版記念祝賀会で。右側は認知症当事者の竹内裕さん)

 40歳の誕生日を迎えた2014年2月、宮城県庁で講演をすることになりました。「認知症の人と家族の会」を通じて私のことを知った県から、介護・福祉分野の職員らが集まる研修会で、認知症の当事者として話をしてほしいという依頼を受けたのです。

 その前年の秋、当事者交流会のために訪れた富山で地域住民を前に話した内容を、帰りの新幹線の中でノートに書き記してありました。それを自宅のパソコンに打ち込んでおいたので、「あの文章を基に、少し付け足して話すことはできるだろう」と思い、引き受けたのでした。

会場に100人…緊張で足が震え

 会場に行くと、100人ほどが集まっていました。持っていった原稿を読み上げるだけなのですが、緊張で足ががくがく震えました。富山で話した時は聴衆も少なく、正式な講演会という感じではなかったので、私の実感としてはこれが初めての講演だったのです。

 発症した頃のことや診断された時の不安と絶望。そして「家族の会」で、互いに理解し合える仲間に出会ったうれしさ。これまでに起きたこと、感じたことを20分ほどかけて話しました。

 一緒に来た妻は、会場の後ろの方にいました。涙をぽろぽろとこぼしながら私の話を聞いていたと、その場にいた人から後で教えてもらいました。

 病院で検査を受けるまでの数年間、記憶の悪さを自覚しながら働いていたことなどは、妻にとっては初めて聞く話だったのだと思います。私の心の内を知り、「全然気づかなかったけど、そうだったんだ」と、思うところがあったのではないでしょうか。

「認知症でも働ける」厚労省に訴え

 ほぼ同時期に、厚生労働省の意見交換会に招かれ、東京に行きました。私を含め6人の認知症の当事者が参加しました。私以外は全員50代以上でした。

 私は、自分の経験を基に「認知症になっても働くことはできる。認知症の人が働ける場所をつくり、長く勤められるよう環境を整えてほしい」と訴えました。

 終了後、マスコミ各社の記者に取り囲まれてしまいました。実名の公表に同意していたのが、50代の女性と私の2人だけだったので、より若い私の方に取材が集中したのです。

 実は、前もって「名前を出しますか」と聞かれた際、「意見を述べ合う会議の場なのだから、名前を出すのが当たり前」と思い、「出します」と回答していたのです。

 その時は「何だか変なことを聞くなあ」と思ってはいたのですが、もしやあれは、マスコミの取材を受けてもいいかどうかを尋ねられていたのかもしれないと考えました。

実名報道に「困った」…反響なく拍子抜け

 「しまった」と思いましたが、後の祭りです。私が勤める自動車販売会社では、病気のことはオープンにしていましたから、認知症と知られても、自分自身に関しては構わないと思っていました。でも娘たちや両親には、報道によってどんな影響があるか想像もつきません。

 ですから、地元で圧倒的なシェアがある河北新報の取材は、申し訳ないと思いながらもお断りしました。しかし毎日新聞には、全国版に写真付きで私の名前と発言が掲載されました。

 妻と2人で「載っちゃったね。困ったね」と話し、一体どんな反応があるか、戦々恐々としていました。ところが、当日も次の日も、さらにその後も、何も起きないまま過ぎていったのです。私の知人などから「記事を見たよ」と声をかけられることさえほとんどなく、「やっぱり地元では、全国紙を購読している人は少ないのかもしれないなあ」なんて思いました。

 初めての講演会と初めての取材。おっかなびっくりで第一歩を踏み出しましたが、恐れていたような悪いことは、何一つ起きませんでした。それどころか、この後、さらに新しい出会いへと発展していったのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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