いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
先天性の難病~絶望の果てに両親が見たもの(上)
人工呼吸器を付け自宅へ
生後8か月になると病状が進みました。喉頭けいれんという発作によって、のどが絞まり、息ができなくなってしまったのです。緊急処置によって事なきを得ましたが、喉頭けいれんは、その後も続きました。両親は医師団に「気管切開をしてください」とお願いしました。手術によって、のどに気管カニューレが挿入され、酸素が送られることで状態は落ち着きました。
ところが、それもつかの間でした。1歳6か月の時、凌雅君は、呼吸そのものをしなくなってしまったのです。人工呼吸器が取り付けられました。それでも両親は、病院に凌雅君を置いておこうとはまったく思わず、「在宅で呼吸器を付けてケアをしていこう」と決心しました。
リハビリをやっても何も変わらない…
呼吸は楽になりましたが、今までできていたことが、できなくなっていきます。お座りもハイハイもできないのです。1歳9か月の凌雅君はベッドに横たわるだけでした。
母親は苦しみました。「なぜ、自分たちだけがこんな目に遭わなければいけないのだろうか? その理由は何なのか?」。 何度自分の心に問いかけても、答えは見つかりませんでした。年賀状で、知り合いの子どもたちの成長の姿を目にすると、妬ましささえ感じました。
主治医の勧めで、リハビリを続けました。少しでも、お座りや寝返りができるようになるため、また病気の進行を抑えるためにです。母親は、凌雅君を連れ、最後の望みをかけてリハビリに通いました。しかし、2歳になった頃、母はある種の諦めを感じました。リハビリをやっても何も変わらない。期待しただけに失望感は大きく、涙の 一滴 さえ出ませんでした。
そして、この 辛 い経験が、母親がわが子の障害を受容していく長い道のりの始まりでした。失意のどん底に落ちたとあとは、 這 い上がるしかありません。(次回に続きます)(松永正訓 小児外科医)
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