いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
気管切開の穴をふさごうとした母親
今回は、愛情があるゆえに、子どもの命を絶つことを考えた母親のことを書きます。
その男の子には生まれつき、あごのすぐ下の頸部にリンパ管腫という腫瘍がありました。腫瘍自体は良性なのですが、リンパ管腫は首の深いところまで広がっているために手術することができません。この腫瘍は自然に縮小することもあるし、突然大きくなることもあります。様子を見ながら自宅で過ごしていましたが、生後6か月の時、腫瘍が突然大きくなって気道を圧迫し、男の子は呼吸困難に陥りました。
「生きていて幸せなんでしょうか?」
救急車が大学病院に到着すると、小児外科医たちは男の子を処置室に運び込み、局所麻酔薬を首に注射して気管を切開しました。そこにカニューレと呼ばれるL字形の樹脂製のチューブを差し込んで酸素を送り、男の子は一命を取り留めました。しかし、数時間にわたって酸素が脳へ十分に行き渡らなかったため、脳に障害が残りました。母親は子どもを連れ帰り、自宅で育てることにしました。ここまでは、私が医師になる前の話です。
そして、医師となって迎えた最初の夏、この男の子が再び入院してきました。3歳になっていました。気管切開した穴がかぶれて出血したため、数日間、入院することになったのです。

【名畑文巨のまなざし】
障害のある子どもたちは、キラキラした純粋な心を持っていると感じます。写真は、2歳のダウン症の女の子。一心に遊ぶ姿から、一点の曇りもない「お母さん大好き!」という気持ちがあふれます。ファインダーをのぞきながら心が洗われるようでした。ミャンマー・ヤンゴン市にて。
男の子の病室は、ナースステーションの前の個室でした。午後11時になり、私が抗生物質の注射を打つために病室へ入ると、母親が、ベッドサイドでぼんやりとしています。「どうしましたか?」と問いかけると、辛そうに声を絞り出しました。
「この先、この子はどうなってしまうんだろうと思うと、どうしても元気が出ないんです。3歳になっても泣くばかりで、笑うこともない。つかまり立ちするだけで、歩くこともない。このまま生きていて幸せなんでしょうか?」
私は切なくなり、何と返事をしていいか分かりませんでした。病室を出ると、そのまま廊下を進み、非常口から屋外へ出ました。
痰を取るたびに苦しむわが子
裏庭に立って満天の星を仰ぐと、虫の声が聞こえました。庭の木々の間を巡り、クワガタムシを見つけて病棟に戻りました。大きな検尿用コップにクワガタムシを入れて、再び男の子の病室に足を踏み入れました。「お母さん、クワガタムシを見つけてきたよ」。
母親は怖い顔をして、わが子を見つめています。私には目も合わせず、口を開きました。
「この穴を、この気管切開の穴を指で塞いだら、この子は楽になるのかしら?」
「そんな……、なんていうことを言うんですか」
「気管の穴にチューブを入れて痰を取ると、この子は苦しむんです。毎日、毎晩それをやるんです。この子の顔をじっと見ていると、『ああ、何をしているんだろう』と考えてしまうんです」
「だからって……」
「新聞を読んでいると、障害児を殺してしまう親の記事が出ていることがありますよね。辛かったんだなあと、その気持ちが分かってしまうんです」
家族寄り添ってきた30年
「そんなこと言わないでください」
私は、捕まえてきたクワガタムシを母親に見せました。すると、母はクスっと笑い、
「先生っておかしな人ですね。うちの子、クワガタを見ても分かりませんよ。でも、ありがとうございます。うれしいです」
目には薄く涙が浮かんでいました。
その後、男の子のリンパ管腫は縮小し、気管切開のカニューレも外すことができました。外科でできることは何もなくなり、小児科の先生から薬が処方され、母子は自宅での生活へと戻っていきました。
現在では、男の子は大人になり、30歳を過ぎています。日中は母親に付き添われて、自宅から軽作業所に通っています。私のもとには、毎年、この母親から年賀状が届きます。父親を含め、家族が寄り添った写真が、そこにはプリントされています。
母親は、本当にお子さんを愛していた。愛していたから、思い詰めてしまったのでしょう。気管切開の穴を指で塞ぐことまで考えたのを、非難することは簡単です。でも、そうした親の気持ちに向き合い、支えていくことが大事なのではないでしょうか。(松永正訓 小児外科医)
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感謝
ray
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お話を読ませていただいて、涙が出ました。一児の母です。
お母さんには苦しむ権利があると思います。そのとき本人が望んでいなかったとはいえ、彼女自身にとって必要だったことのではないでしょうか。
だから、先生、ありがとうございました。先生の持ってこられたクワガタが医療を超えて伝えてくれたものがあると感じました。
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医者は「命を救うのが正義」「手を尽くすのが正義」で、楽だなぁと思いました。
患者が苦しんでいても、植物状態をずっと続けていても、医者にとっては「生かしていれば」「手を尽くせば」問題ないですよね。
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自分の辛さや苦しみは他人には
絶体にわかってもらえない
唯一共有できるのは同じ立場の人だけ。
だけど、少しでも自分の苦しみ辛さを
わかってくれ寄り添ってくれる
人が側にいれば、どうするべきなのか
道が見えてくると思う。
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