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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

コラム

娘たちに告白「パパは認知症」

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いつ伝える……高校生になってから?

 2013年春に若年性認知症と診断され、自動車販売会社の営業マンだった私は、総務・人事グループへと異動になりましたが、同じ会社で働き続けられることになりました。最も心配していたことが願ってもない形で解決したものの、実はもう一つ、大きな問題が残っていました。娘たちに私の病気のことをどう伝えるかということです。

娘たちに告白「パパは認知症」

職場で使っているノートは、娘たちからのプレゼント。仕事の手順など、必要なことを全て書き記しているので、忘れても大丈夫です

 当時、上の子は中2、下の子はまだ小6でした。思春期の女の子が、父親が認知症になったと言われたら、どれほどのショックを受けるか分かりません。主治医に相談すると、「話すのは、病気のことをある程度、理解できるようになる高校生になってからでいいのでは」との意見でした。しかし、そう何年も隠したままでいられるものでしょうか。

 子どもたちには、検査入院する際に「記憶が悪いから調べてもらう」という説明はしていました。退院してきた父親が何だかとても暗い顔をしていて、今までと様子が違うことには、気づいていたかもしれません。でも、その時は2人とも何も聞いてきませんでした。

「パパ、死んじゃうの?」

 そんな迷いを抱えながら、会社に復帰して間もない頃のことでした。朝、スーツに着替えていると、妻に「今日は会社は休みだよ」と言われました。確かに会社の定休日の火曜だったのですが、私はなぜか「いや、仕事がある。会社に行かなくちゃ」と言い張って、妻が止めるのも聞かずに出社しようとしたのです。

 認知症を告知されるという衝撃的な出来事に続き、初めての本社勤務や慣れない事務の仕事で、極度の不安と緊張にさいなまれていた時期でした。精神的に不安定になり、ささいなことでパニックを起こしたり、うつ状態に陥ったりしていました。

 混乱する頭の中で「家族のために、とにかく働かなくては」という思いばかりが強くなっていたところに、「今日は会社に行かなくていい」と言われて、「やっぱり、会社がもう来なくていいと言っているのか」と勘違いして取り乱してしまったのです。

 泣きながら大声を上げる父親と、それを何とかなだめようとする母親を見て、娘たちもさすがに心配になったのでしょう。下の娘が妻に「パパ、死んじゃうの?」と聞いてきたのです。そういう状況でも、妻は認知症のことは言えなかったそうです。

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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