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命の絆 臓器移植法20年

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[命の絆 臓器移植法20年](1)「脳死になったら僕のをあげてね」小6息子の希望かなえて…

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[命の絆 臓器移植法20年(1)]「脳死になったら僕のをあげてね」小6息子の希望かなえて…

「おかあさん だいすき…」と小さいころ息子が書いたメモに触れる母親=中根新太郎撮影

 脳死の人からの臓器提供を認めた臓器移植法が施行されて、16日で20年。必要とする患者と提供数には、いまなお大きな隔たりがある。初めて取材に応じた子どものドナー(臓器提供者)の遺族ら関係者を通じて、その課題を追った。

 病室のベッドで眠るように安らかな表情の息子を、母(39)は必死で抱きしめた。息子は脳死となり、日本では数少ない子どものドナーになった。臓器は各地の患者のもとへ旅立った。

 「体が冷たくなってる!!」

 思わずそう叫んでなきがらを抱え、温めた。小学6年生。急にたくましくなった体は、臓器が取り出されても、やはり重かった。

 「愛情のバケツが空にならないように、ぎゅうっとするよ」

 抱き合うときの家族の合言葉を、母は心のなかでつぶやいた。横で父(47)は息子の頭をなでて、「頑張ったな」と話しかけた。

 別れは突然だった。入浴したはずが、静か過ぎるのが気になり母は声をかけた。反応がないので見に行くと、湯船に沈んでいた。駆けつけた救急隊員らの処置で心臓は鼓動を再開したが、意識は戻らない。柔道に打ち込んでいた息子は、それまで健康そのもの。原因はわからなかった。

 入院から約1週間、主治医に脳波のデータを見せられた。明らかに平らな線。

 「脳死の状態ですか」

 恐る恐る尋ねると、主治医はうなずいた。回復を願っていた両親に、つらい現実が突きつけられた。

 クラスの盛り上げ役で、いつも人を笑顔にした。友達の悩みにも、自分のことのように考え込む。母が体調を崩すと、言われなくても小さな妹の面倒を見た。柔道は強くなかったけれど、練習は皆勤だった。

 「人の役に立ちたい」というのが夢。テレビのドキュメンタリー番組が大好きで、臓器移植で元気になった子どもの映像を見て涙し、家族に話していた。

 「もし僕が脳死になって、助かる人がいたら、僕のをあげてね」

 両親は思いきって、臓器提供を申し出た。

 脳死ドナーは2017年9月までに計475人。15歳未満の子どもがドナーになれるようになったのは法改正後の10年からだが、7年でわずか15人。海外渡航して移植を受ける子どもも後を絶たない。ドナーが少ない要因の一つには、病院に臓器提供の意思を生かす体制が必ずしも整っていないことも指摘されている。

 特に子どもは、虐待がないことの確認などが求められ、慣れない病院も多い。主治医はマニュアルを見ながら手続きを進めた。脳死判定の後、家族と親友2人に見送られて手術室に運ばれ、臓器が摘出された。

 母はいまも、わが子の死を受け入れられない。けれどせめて、本人の希望をかなえたかった。

 「いまもまだ、何をしていても悲しい。ただ、移植した人が元気に暮らしていることが、私たちの希望」

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