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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

薬の服用から数年後…遅発性の副作用の苦しみ

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薬の服用から数年後…遅発性の副作用の苦しみ

 私が医学部を卒業して眼科医として歩み始めた昭和50年代、所属先の教室の大きな研究テーマが、有機リンやカルバメート系農薬の視覚への影響でした。私も、薬物中毒の動物実験に参加しただけでなく、慢性的に苦しむ患者さんを診察する機会が他の医師よりも多かったのでした。

 そのような経験もあって、医療で使う薬物や、環境中にある化学物質が人体―特に視覚―にどんな影響があるのか、ずっと関心を持ってきました。

 この関心を持ち続けたことが、副腎ステロイドの使用によって網膜の中心部がはく離する「中心性 漿(しょう)(えき) 性網脈絡膜症」、睡眠導入剤や安定剤として用いられるベンゾジアゼピン系薬物による「眼瞼けいれん」「眼や視覚の感覚過敏症( (まぶ) しい、痛い、ぼやけるなど )」などの副作用があることを見つけ出す素地になったのだろうと思います。

 また、1995(平成7)年3月に起きた地下鉄サリンテロ事件に遭遇した人々が、いつまでも眼や視覚の症状に苦しんでいることについて、さまざまな可能性を考察する機会もありました。サリンにはたった1回だけさらされただけなのに、ずっと後になってから(遅発性に)脳の一部の萎縮が進行したり、視覚や神経の症状が発現したりするケースがあることがわかりました。

 薬物、化学物質の副作用は、さらされてから短期間に出現する急性のものばかりが注目されます。ところが、眼球や脳といった中枢神経系の仕組みは、長期間にわたり低濃度の薬物にさらされることで徐々に変化することもあります。サリン事件のように、突然高濃度の薬物に短時間さらされた後、しばらくしてから症状が出てくる(遅発症状)こともあるのです。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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