僕、認知症です~丹野智文43歳のノート
医療・健康・介護のコラム
「体は動くんだろ?」社長の一言で本社勤務に
きょうだいの絆に感謝
家に帰る車の中から、実家に報告の電話をしました。母が出て、この先も働き続けられることを伝えると、とても喜んでくれました。
私は3人きょうだいの末っ子なのですが、母の話では、私がクビになったら、一番上の姉は自分の夫が人事課長を務める会社で雇ってもらえないか頼むつもりだったそうです。兄も、「自分の経営するラーメン店で働かせる」と話していたといいます。
病気のことは母にしか知らせていなかったのですが、母がカレンダーに「智文入院」と書き込んでいたのを実家にやって来た姉や兄が見つけたのです。2人とも、普段の付き合いは淡々としたものなのですが、そこまで考えてくれていたと知って胸が熱くなりました。きょうだいって、いつも一緒にいるわけでなくてもどこかでつながっているんですね。ありがたいと思いました。
慣れない事務…「何でも聞こう」
面談では「明日から働きます」と言ったのですが、社長には「少しゆっくりしなさい」と言われ、ゴールデンウィーク明けから出社しました。
職を失わずに済んでほっとしましたが、全く勝手の分からない事務の仕事です。認知症の自分にできるのか不安でした。
まず、分からないことは何でも聞こうと決めました。娘ほども年の離れた新人の女性社員にも頭を下げて、教えてもらいました。私はそういうことには全く抵抗がないので、すぐにうち解けていろいろと手助けしてもらえるようになりました。
せっかく教わったことも忘れてしまうので、手順を細かくノートに書くことにしました。必要なことを全て記したつもりでも、次の日にそのノートを見ながら作業を進めようとすると、分からないことが出てきます。何日もかけて必要なことを書き足していって、何もかも忘れてしまってもこれさえあれば仕事ができるというくらい、完璧なノートを作り上げました。
こうして自分なりの工夫と周りの支えで、私の新しい職場での勤務が始まりました。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)
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