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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

コラム

「体は動くんだろ?」社長の一言で本社勤務に

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洗車でもいい、働きたい!

 2013年4月に若年性認知症の告知を受けた際、まず頭に浮かんだのは、家族を養っていけるだろうかということでした。当時、娘たちはまだ小中学生。私も30代でしたが、認知症になった社員を会社がこの先も雇い続けてくれるものでしょうか。

 認知症の疑いがあることは、大学病院に検査入院する前に上司には伝えてありました。退院後、会社に何と言えばいいのか悩みましたが、やはり率直に話すしかないと思い、妻と2人で会社に行くことにしました。

 妻とは、「洗車でもいいから働かせてもらおうと思っているんだけど、それでもいいよね」と話し合っていました。

 自動車販売のこの会社でフォルクスワーゲンの担当になってから、10年以上かけて400人まで増やしたお客様も、上司の指示で全て後輩に引き継いでしまっています。そもそも、お客様の名前や顔を忘れてしまうのでは、営業の仕事は勤まらないでしょう。ずっと営業畑で、自動車整備の資格もない私にできるのは洗車くらいだと思ったのです。本来はアルバイトの仕事ですが、「自分にできることなら何でもやって、とにかく働かなくては」という一心でした。

「机を運ぶ仕事もあるから」

 妻の運転で会社に行くと、社長や総務・人事グループの副部長など3人が私たちを待っていました。当時の上司には、すでに診断結果を伝えていたのですが、改めて「検査入院の結果、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました」と、報告しました。

 すると社長は、「そうか。でも体は動くんだろう? だったら戻ってきなさい」と言うのです。洗車の仕事のことをこちらから切り出す間もありませんでした。さらに社長は、「本社なら、いろいろ仕事があるだろう」「机を運ぶ仕事とかもあるから」と続けました。

 机を運ぶ仕事……入社以来、そんな業務を担当している社員は見たことがありません。でも社長はその時、まるでそういう仕事がたくさんあるかのような口ぶりでした。

 副部長は、私の新しい上司として同席していたのだと、やっと合点がいきました。予想外の展開に、最初は言葉を失いましたが、とにかく働き続けることができるのです。しかも本社勤務です。ほっとして、うれしくて、視界が涙でにじみました。

 社長は、「長く働けるようにするから」とも言ってくれました。後で知ったのですが、私に限らず本人に働く意思がある限り、病気になってもなんとか働ける場所を見つけて復帰させるのが社長の考えだったそうです。

 それでも、認知症の社員を雇うのは初めてのことです。私に何をさせればいいのか、何ができるのか。ずいぶん悩んだ末の「戻ってきなさい」という言葉だったのではないかと思いました。

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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