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時を重ねる

医療・健康・介護のコラム

老いと紡ぐファンタジー 作家 眉村卓さん

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  <SFを書き続けて半世紀以上。5年前に食道がんの手術を受けたが、創作意欲は衰えない。2002年に妻を亡くしてからは、大阪市内で一人暮らしだ。>

老いと紡ぐファンタジー 作家 眉村卓さん

「出かける時は、かばんに原稿用紙、シャーペン、消しゴムなど七つ道具を入れています。いつでも書けるように」(大阪市内で)=尾崎孝撮影

 アイデアを探す時は、よく電車に乗ります。関西空港に行って飛行機の発着を眺めたり、橿原神宮でお参りしたり。行く先々でタンタン麺や鉄火丼とか、好物があってね。病気をして食は細くなったけど、食べることは変わらず好きですね。

 何か浮かべば、持ち歩いているメモ帳にキーワードや断片を記します。まあ、作品につながるネタが思い浮かぶのは3、4回に1回くらい。

 東京に住む長女が、妻の月命日の前後に帰ってきますが、一人の時は、ご飯は食べに行くか、買って帰るか。作るのはカレーうどんくらいかな。

 病気で体重は20キロほど痩せました。自分でもびっくりしたけど、ペットボトルを足で潰すのが大変。風が強いと体がよろめく。近所の人に「痩せはったけど元気そうやんか」と言われて、「あきません、強い風には吹き飛ばされそうですわ」。相手は笑ってたけど、冗談ちゃいますからね。

  <がんになった妻に毎日1編、ショートショートを書き、約5年間の闘病の末に67歳で亡くなるまで、1778話をつくった。そのエピソードは映画(「僕と妻の1778の物語」)にもなった。>

 あの頃は自宅のほかに、病院の待合室や、近くの喫茶店で原稿用紙を広げて書いてました。話し声、笑い声。ざわざわしててやかましいけど、気にならない。集中できて、スピードがアップして書けました。

 喫茶店で書くというのは、若い時からよくやっていました。夫婦ともに働いていたので、帰りにどこかで待ち合わせをして食事をすることが多かった。僕の方が退社時間が早かったんで、喫茶店でその時間まで書きながら待っていました。

 妻は、僕が会社の仕事を持ち帰った時はさっさと寝てしまうのに、原稿を書いていると、いつまでも起きていてお茶やお菓子を持ってきてくれる。とにかく、僕が書いていると機嫌がよかったですね。

 妻が亡くなった時は、喪失感で落ち込んでしまった。1年くらいはおかしくなっていたと思う。娘にも随分心配をかけました。でも、日にち薬というように、悲しんだほど治りは早かったような気がします。

 この5月で亡くなって15年。でも、家でテレビを見て寝てたら、「ああ、文句言うやろな」と思うし、家のどこかでガタガタと音がしたら、妻が何かしてるんだとふと思ってしまいます。

普通に生きていることが幸せ、長生きはもうけもん

 <昨年12月、書き下ろしの短編集「終幕のゆくえ」を刊行した。20の物語に登場するのは高齢の男性たち。老いへの寂しさや孤独、一方では開き直りのような心境も描く。>

 じいさんたちばかりの「モーロクファンタジー」です。僕自身の体験に基づいている部分も多い。スマホじゃなくてガラケーを使っているとか、熱中症になって部屋の中で動けなくなって、「死ぬかも」と思ったこととか。

 年を重ねて書くものが変わってきました。自分に正直に、好きなことを書いているだけ。こうやって無責任に書いているうちは、元気なんでしょうね。

 こんな年まで生きてるなんて、思ってもみなかった。消えずに残ったシャボン玉みたいなもんかな。だからこそ、普通に生きていることが幸せ、長生きはもうけもんやと思います。死んだらゼロになるんかな。もし、僕がこれまでたくさん書いてきたような異世界が広がっていて、行けるんやったら、それももうけもん。

 最近、人工知能(AI)が話題になりますよね。人間が戦って勝てるとすると、「適当に忘れる」という能力じゃないか。これって、我々年寄りの得意とするところ――。そんなこと、考えてます。(聞き手・古岡三枝子)

2017年5月7日掲載(略歴は当時のもの)

 まゆむら・たく 1934年、大阪市生まれ。61年、「下級アイデアマン」で第1回空想科学小説コンテストに佳作入選し、デビュー。79年に「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞。代表作に「ねらわれた学園」「妻に捧げた1778話」など。2009年から本紙「人生案内」の回答者を務める。

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時を重ねる
年齢を重ねたからこそ得られる楽しみや境地がある。高齢期を迎えた各界の著名人に思う存分語ってもらいます。

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