いのちは輝く~障害・病気と生きる子どもたち 松永正訓
医療・健康・介護のコラム
腹壁破裂で生まれて来た赤ちゃん
赤ちゃんの命は大変頼りなくか弱いものです。そうした命は医者や親によって守られるべきです。ところが、生まれる前の胎児の命は必ずしも100%守られているとは言えず、障害を負った命は見放されてしまうことがあります。
私が赤ちゃんの命の重さについて深く考えるようになったきっかけは、医師になってわりとすぐの頃に起きた出来事にありました。
関東地方の田舎で双子の赤ちゃんが生まれました。第1子は死産でした。第2子は生きて生まれましたが、腹壁破裂という先天性の奇形がありました。おへそのすぐ脇にあなが開いていて、そこからすべての小腸が体外に飛び出していたのです。もちろん緊急手術が必要です。放置すればたちまち感染が起きますし、外に出た小腸からどんどん体温が奪われますので赤ちゃんは低体温になります。何十枚ものガーゼでくるまれた赤ちゃんは救急車で深夜、私が勤めていた大学病院の小児外科に搬送されてきました。

【名畑文巨のまなざし】
赤ちゃんはダウン症。とても元気でかわいく、母親を見つめる一瞬のまなざしに、無条件の信頼感と、とても大きな生のエネルギー(生命力)を感じます。ミャンマーの旧首都ヤンゴン市にて。
体外に飛び出している腸は、羊水に 晒 され続けていたために分厚くむくんでいます。そのため、すべての腸をおなかに中に納めて腹壁を縫合すると、赤ちゃんのおなかはパンパンに膨れ上がりました。おなかが胸を圧迫しますので、赤ちゃんは自分の力で呼吸することができません。手術は終了したのですが、私たちは赤ちゃんを人工呼吸器の付いた状態で病室に連れて帰りました。
家族控室には、赤ちゃんの父親と両家の祖父母が集まっていました。私たちは赤ちゃんの様子を口頭で伝え、それから面会してもらうことにしました。ただ、ちょっと心配がありました。赤ちゃんの奇形はお腹だけではなかったのです。両手両足の指が6本ずつあったのです。いえ、でもこうした奇形は形成外科の先生に手術してもらえばきれいになります。「命には関係ありません」と家族に念を押しました。
家族に病室へ入ってもらいました。すると誰も赤ちゃんの顔やお腹を見ません。両手両足を入念に見ています。深夜の病棟に小さな悲鳴のような声があがります。病室は騒然となり、やがて誰もが黙りこくってしまいました。
手術の後、私たちはねぎらいの言葉をもらったり感謝の言葉をかけられたりすることが多いのですが、その時は気まずい雰囲気だけが部屋に充満し、家族はほとんど無言で帰宅の途につきました。
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確かに田舎でこういった子を育てるのは、ものすごい偏見を持たれます。特にこの父親が結構な権力者だとしたら…とにかく周りからどう見られるかが一番。かわいそうな思いをするのは母親と子どもです。だからどうするのがいいのか答えは出ませんが、田舎ではこういった事が普通にありえます。私はそれで苦しい思いをずっとしています。話がそれましたが、こういう事もあります…。
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何も果たしてないわ。
ピレ
育児放棄やら虐待するより子供を殺すのがマシと思ってる奴が親になりません様に。 子供が可哀想。 育児放棄も虐待もせずに出来るだけ生かしたいと思うの...
育児放棄やら虐待するより子供を殺すのがマシと思ってる奴が親になりません様に。
子供が可哀想。
育児放棄も虐待もせずに出来るだけ生かしたいと思うのが正しい親だろうが。
この記事の時点では、まだ短命か判らんしな。
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誰が育てると思ってるんだ?
匿名
内容は兎も角、親は責任を”果たした” 育児放棄やら虐待なんぞよりはるかにマシな結果だと思う
内容は兎も角、親は責任を”果たした”
育児放棄やら虐待なんぞよりはるかにマシな結果だと思う
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