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わたしの医見

医療・健康・介護のコラム

医療者に感謝

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熊本市 団体職員 53

 17年前の急性心筋 梗塞こうそく 以来、徐々に心臓機能が弱くなり、昨年、補助人工心臓を植え込み移植待機患者の登録をした。これまでに何度も死にかけて、入退院を繰り返した。病院の医療者に本当に感謝している。周囲の理解と励ましで、職場復帰できた。

 大病をしたことで、病気だから不幸なのではなく、病気に心が負けてしまうことが不幸だと思えるようになった。感謝の気持ちが生きる力を増していくことを実感した。命に関わる仕事に携わる皆さんに、ありがとうと言いたい。

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父の死で思うこと

ゆーみ

先日85歳の父が手術後約1ヶ月で亡くなりました。 15年前に食道がんの手術をうけ、その後は元気に生きていたのですが、この夏に胃がんが見つかり、手...

先日85歳の父が手術後約1ヶ月で亡くなりました。
15年前に食道がんの手術をうけ、その後は元気に生きていたのですが、この夏に胃がんが見つかり、手術を受けました。入院する少し前に「食道がんの手術をしてくれた医師にTELして相談してみようと思う」と言うので「今の先生を信じて手術を受けよう」となだめ、父はあきらめました。
手術の前日には「まだ生きたかったけど仕方ない。いい人生やった」といい手術にのぞみました。術後の経過は悪く、何度か主治医に説明をしてほしいとお願いしたのですが、「体力と気力が心配。長期戦になる」などいつも歯切れの悪い説明でした。飲食もできず起きることもできず抑制をされ高熱を繰り返し肺炎や感染を起こし、多臓器不全であっという間にこの世を去りました。入院前日まで何でも自分ででき、読書が趣味の穏やかな父でした。いなくなったことがまだ受け入れられません。看護師である自分が、父の病歴や年齢からリスクを予想し別の治療法を選択できなかったことが、今でも悔やまれます。「父さん、ごめんなさい」
父の死で学んだことを患者様に提供することが父への供養と思い、これからも働いていこうと思います。

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