僕、認知症です~丹野智文43歳のノート
医療・健康・介護のコラム
「認知症=終わり」ではない
人に優しく、力強く……「負けてられない」
交流会には、竹内さんと私以外は、家族と一緒に来ていました。ただ、奥さんが同行している人も、公共のトイレやお風呂に一緒に入るわけにはいきません。竹内さんは、そういう人の世話を進んで引き受けるのです。
自分自身が病気を抱えていて、私よりずっと年を取っているのに、こんなに人に優しく、力強く生きている人がいるなんて。正直、「負けた」と思いました。そして「俺だって、負けたままではいられない」と、気持ちが奮い立ちました。
交流会に集まった人たちの中には、発症から10年以上たっている人もいましたが、みんな元気でした。人によっては、何年かたってもあまり症状が進んでいないという話も聞き、「数年で重度になるわけではないんだ」という思いが、さらに強くなりました。
それまでの私は、「どうせすぐ寝たきりになるんだから」と人生をあきらめていました。生きていることを楽しむ時間などないと考えていたので、好きだったスキーやボディーボードの道具も全て処分してしまっていました。その「認知症=終わり」という思いこみが、この2泊3日の旅で崩れ去ろうとしていました。
初めての講演 高まる思い、涙
交流会の主催者に声をかけられて、地域の講演会で10分ほど話をすることになりました。小さな公民館のようなところで、住民と交流会の参加者を前にマイクを握りました。
突然言われて、何も準備していなかったので、今までのことをありのまま話すしかありません。診断を受けて不安でたまらなかった時に「家族の会」に通うようになり、仲間と出会えたうれしさを語るうちに、これまでのいろいろなことが頭に浮かんで、涙があふれてきました。そんな私の話を泣きながら聞いてくれる人もいました。
語ったことをノートに 活動の原点
仙台への帰り道、新幹線が混んでいて、若生さんたちと座席が離れてしまいました。一人でやることもなく、あの講演会のことを考えていました。
人前で話したことで、気持ちが整理できたようです。「これから病気が進んでいくだろうけど、自分で考えて語ったことを残しておきたい」と思い、座席のテーブルにノートを広げ、講演会で話したことをどんどん書きつけていきました。
この手書きの文章が、後の様々な活動の原点になりました。この時の私は、そんなことはまだ、想像もしていませんでしたが。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)
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