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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

医療・健康・介護のコラム

仲間に出会い、見つけた光

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途方に暮れ「家族の会」へ

仲間に出会い、見つけた光

大切なパートナーの若生栄子さんと。県外での講演会など、遠出するときはいつも同行してくれます

 若年性アルツハイマーと告知された後、何か支援を受けられないかと訪れた区役所で、「40歳未満では介護保険は使えない。その他には何もない」と言われてしまいました。途方に暮れていると、ふと「認知症の人と家族の会」のことが頭に浮かびました。

 入院中にネットで、アルツハイマーの治療や支援制度のことなどを調べるうちに、同会の宮城県支部のサイトを見つけていたのです。確か、事務所は区役所と目と鼻の先だったはずです。

 場所を教えてもらって訪ねると、年配の男性がいました。「誰の相談?」と聞かれたので、私自身が認知症と診断されたことを伝えると、若年性認知症の担当者に電話をかけてくれました。

 その場では連絡が取れなかったものの、夜には早速、担当の女性から携帯に電話がかかってきました。そして「若年性認知症の方のための『つどい』があるので、一度来てみませんか」と誘われたのです。

年齢差に戸惑い

 聞けば、一番若い参加者でも60歳くらいとのことでした。65歳未満で発症した場合に「若年性認知症」といわれるので、症状が表れ始めた時はもう少し若かった人もいるのでしょうが……。「そんなお年寄りの間に、俺が入っていいのかな」と、気後れしてしまいました。しかし、役所では何の情報も得られず、他に助けになってもらえそうな当てもありません。とにかく一度、行ってみることにしました。

 この時、電話をくれた若生わこう栄子さんは、それからの私の人生でなくてはならないパートナーになるのですが、それはもう少し先の話です。

 この集まりは、正式には「若年認知症のつどい『翼』」といい、仙台市内で月に2回、開かれているとのことでした。2013年6月、初めて1人で訪ねてみました。

 恐る恐る中に入ると、会議室のような大きな部屋に人が集まっていました。見回してみても、定年前後と思われる人ばかりです。まだ30代だった私は、完全に場違いな感じだったのですが、1人の男性が「ここに座りなよ」と手招きしてくれて輪の中に入ることができました。

本人も家族も笑顔

 電話で話をした若生さんも、母と同年配でした。若生さんが皆に紹介してくれたのですが、私自身が認知症だと分かっても、好奇の目で見る人はいません。誰もが私の話に真剣に耳を傾けてくれました。

 そして、認知症の人も家族も、とにかくよく笑うのです。「認知症」や「介護」という言葉から連想するイメージとはかけ離れた明るい雰囲気に、ちょっと面食らいました。

 温かく迎えてもらったものの、あまりに年齢差が大きいこともあり、最初はなかなかなじめませんでした。毎回、合唱の練習をするのですが、「高原列車は行く」とか、よく知らない古い歌ばかりで、もともと歌が苦手だった私には戸惑いもありました。

 それでも「翼」には通い続けると決めていました。私の病気が進行して寝たきりになったら、妻は、2人の娘を育てながら重度の認知症の夫を抱えていくことになるのです。その時、妻が相談できる場所が必要だと思ったからです。

同じ薬に親近感

 初めて参加した時に声をかけてくれた男性は、認知症の奥さんを介護していました。ある時、その人が「最近、妻に処方されるアリセプトの量が増えて……」と話すのを聞いて、思わず「その薬、私も飲んでます!」と声を上げてしまいました。それまでは、親ほども年の離れた人たちと自分に共通点があるとは思えなかったのですが、同じ薬を飲んでいると知って、初めて「自分と一緒だ」と実感したのです。

 認知症と分かってから、私はどこにいても「一人」でした。周りには同じ境遇の人はなく、相談する相手もいません。孤独と不安に押しつぶされてしまいそうで、夜になると自然と涙があふれてくる日々でした。

 しかし、薬のことをきっかけに「翼」では、病気のことも気兼ねなく話し合えるようになっていきました。「自分を理解してくれる仲間がいる」と思うとうれしくて、合唱さえも、だんだんと楽しくなりました。いつしか、この集まりが私の心の支えになっていたのです。

 それから数か月たった頃、「翼」で出会った家族から、「富山で当事者の交流会があるから、行ってみない?」と言われ、参加することにしました。誘ってもらえたことがうれしくて、深い考えもなく「行きたい」と答えたのですが、実はこの旅行では、人生を変えるもう一つの出会いが私を待っていたのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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