僕、認知症です~丹野智文43歳のノート
コラム
早期発見 早期絶望
「2年で寝たきり」を信じ込み
大学病院に入院していた1か月間、家族が面会に来た時を除いて認知症のフロアから出てはいけない決まりだったので、ほとんどベッドの上で過ごしていました。おかげで、退院する時にはすっかり筋力が衰えていて、ほんの少し歩いただけで疲れるようになってしまいました。まだ30代の自分でもこうなるのだから、お年寄りだったらすぐに動けなくなってしまうな……と感じました。
入院中、ネットで見た「若年性認知症は進行が速く、2年で寝たきりになる」という記述が、心にのしかかっていました。主治医に「私は、寝たきりになるのですか?」と尋ねると、「今すぐにというわけではありませんが、そうなる可能性はあります」という答えだったのです。
専門医に「可能性がある」と言われたことで、「2年」という部分も含めて「ネットに書かれていた通りなんだ」と、受け止めてしまいました。診断から4年たっても元気に暮らしている今となっては笑い話ですが、当時は本気で思い詰めていました。
何しろそれまでは、認知症の人を見かけることさえほとんどない生活を送っていたのです。いきなり「認知症」と言われても、テレビなどで見聞きする「 徘徊 」とか、「言葉も通じなくなって、暴れる」といったイメージしかありません。何が正しくて何が間違いなのか見当もつかず、混乱するばかりでした。
支援を求めて区役所へ
そんな状況で退院を迎え、真っ先に考えたのは家族のことでした。当時、娘たちはまだ小中学生です。「俺が寝たきりになっても妻と子どもが生活していけるよう、今のうちにできることをやっておかねば」と、決意しました。
私の頭の中では、タイムリミットは2年ですから、急がねばなりません。退院してすぐに区役所に行ってみました。
窓口で職員に「認知症と診断されたのですが……」と言うと、「どなたのご相談ですか?」と聞かれました。「私自身です」と答えると、今度は年齢を尋ねられました。その人は、私がまだ39歳になったばかりと知ると、「介護保険の対象になるのは40歳からなので、使えません」と言うだけでした。
「まさか介護保険以外には、何もないの?」と思いましたが、どうやら、その「まさか」のようです。結局、ここでは何一つ助けになる情報は得られませんでした。「やっぱり、普通は高齢者がなる病気なんだな」と思うと、その「普通」から外れている自分の立場が、いっそう心細く感じられました。
その半年ほど後には、地域住民から医療や福祉の相談を受ける地域包括支援センターにも行ってみましたが、介護保険の様々なサービスを紹介する冊子をもらっただけでした。ほんの4年前のことですが、当時は福祉の担当者でさえ、「認知症といえば介護保険」という感覚だったのでしょうね。
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